福澤諭吉とフラネル

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福澤諭吉についての説明は不要でしょうね。偉大なる日本人であります。
日本の歴史上、忘れてならない十人を選ぶなら、たぶん福澤諭吉はその中に含まれることでしょう。
万延元年、「咸臨丸」が遣米使節団として出港したのは、歴史の本に出ていることでしょう。そして、この「遣米使節団」のひとりとして、若き日の福澤諭吉が乗り組んでいたことも。
咸臨丸がアメリカに着いてから、故障。修理が必要になって。サンフランシスコで修繕してもらっています。
修理が終った咸臨丸は、帰途へ。この日本への帰り。咸臨丸は今のハワイに立ち寄っているのです。

「獨立の國にて、「ハウハイー」府と申政府を構へ……………………。」

福澤諭吉著『萬延元年アメリカハワイ見聞報告書』に、そのように出ています。万延元年は、西暦の1860年のことですから、かなり早いハワイの紹介かと思われます。

福澤諭吉が尊敬されるひとつの理由に、師弟愛があります。福澤諭吉生存中は、慶應義塾の卒業生にはなにかにつけて面倒をみたからです。
たとえば慶應の卒業生が事業をはじめるときには、陰に陽に応援しています。これも一例ですが。

「………此度私店に於ては西洋の仕立師を召抱、羅紗フラネル其外反物、精製最上、いまだ日本人の目に觸ざる程の名品を本國より取寄……………………。」

福澤諭吉は、明治のはじめに、そのように書いています。
実はこれ、その頃、茅場町にあった「柳屋店」の、開店広告文なのです。おそらくは慶應義塾の出身者が開いた店なので、福澤諭吉が人肌脱いだものなのでしょう。

これに似た例はまだまだ外にも探せるのです。たとえば。

「………廉價の美服は恰も昨今の好機會、失ふ可らざる義と奉存候。」

これは「丸屋」の広告文。「冬服は今がお買得ですよ」と言っているわけです。ここでの「丸屋」は、今の「丸善」。丸善の宣伝文句を、福澤諭吉が。ちょっと信じられない話ですが、ほんとう。この文章も今は、『福澤諭吉全集』に収められていますから。
「丸屋」の創業者、早矢仕有的は、福澤諭吉の弟子でしたから、分からないものでもありませんが。

「所謂絹フラネルノ類是ナリ。」

明治十七年に、松山棟菴が書いた『日本服と洋服と衛生上利害如何』という文章にも、「フラネル」と出ています。西洋では夏場に「絹フラネル」を着るのだと、と。
どなたかシルク・フランネルを作って頂けませんでしょうか。

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