辞典は、ディクショナリーのことですよね。辞書とも言います。
むかし、「ディクショナリー」の単語がどうしても覚えられなくて。「字引く書なり」で、やっと頭に入ったという話があります。
人間に奇人変人がいるように。「奇辞典」もあれば」、「変辞典」もあります。あまりにも有名な「変辞典」に、『悪魔の辞典』があります。1911年に、アメリカ作家、アンブローズ・ビアスが完成させて辞典。
もっとも『悪魔の辞典』にも多くの紆余曲折があって、ビアスが一気呵成に仕上げたものではありません。アメリカ各地を転々としながらも、書き続けることを忘れなかった成果と言ってよいでしょう。
『悪魔の辞典』には駄弁を弄するよりは、具体例を挙げたほうが分かりやすいでしょう。
たとえば、「結婚」を引いてみますと。
「共同生活体の一つの場合で、一人の主人と一人の主婦と二人の奴隷から成り、それでいて全部合わせて二人にしかならない状態……………………。」
たしかに『悪魔の辞典』だけのことはあります。一事が万事、この調子。
これだけ辛辣であれば、辛辣ゆえの愛読者もいるわけで。二冊目三冊目の「悪魔の辞典」」が登場するのも、当然でしょう。
ひとつの例ですが。劇作家の別役 実にも、『当世悪魔の辞典』があります。同じように「結婚」を調べてみますと。
「以後生殖活動を公然と開始するぞ」ということを宣言するための儀式。」
あるいはまた、共著による「悪魔の辞典」もあって。
『噴版 惡魔の辭典』。安野光雅、なだいなだ、日高敏隆、別役 実、横田順彌の共著となっています。「結婚」とは。
「離婚資格を入手すること。」
まあ、それはそうですがね。
辞典と言って良いのかどうか。私にとっての「辞典」のひとつに、サミュエル・スマイルズの『西国立志編』があります。1859年の刊行。知りたいことを、たくさん教えてくれる本であることに間違いありません。
「………これよりして、利器匠の家に送られ、また転じて鋳字匠の業をなしたり。」
サミュエル・スマイルズは、『西国立志編』の、『ジャカール、ならびに織機』の中に、そのように書いています。
ジャン・マリイ・ジャカールは、1752年7月7日に、フランスのリヨンに生まれています。が、ジャカールの幼少期はほとんど分かってはいません。
ジャカールは学校にはあまり行ってはいません、その代り奉公に出されたらしい。それが、最初、刀師であり、ついで活字工であったのh注目すべきでしょう。いずれも細かい作業を要求されるものでしたから。
ジャン・マリイ・ジャカールが今の「ジャカード織機」を完成させたのは、1790年頃のこと。ここに至るまで、幾多の労苦を積み重ねています。少なくとも一年や二年の試行錯誤ではなかったのです。
しかし「ジャカード織機」は歓迎されませんでした。織子の仕事を奪う悪魔の機械として。
唯一、フランスで認めたのが、ナポレオン・ボナパルトだったのですが。
一方、イギリスでは「ジャカード織機」に寛容で、何度も、イギリスへの移転を勧められています。でも、ジャカールは。
「迫害よりも愛国心が勝る」。
そう言って、リヨンを離れることがなかったのですが。いずれにしても今日のリヨンの繁栄の大きな力は、ジャン・マリイ・ジャカールによるものと言って、間違いないでしょう。