英国とエスパドリーユ

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英国は、イギリスのことですよね。イングランドということもあります。
1815年に英国に行ったアメリカ人に、アーヴィングがいます。作家のワシントン・アーヴィング。
ワシントン・アーヴィングは、1783年4月3日。ニュウヨークに生まれていますから、れっきとしたアメリカ人であります。
ワシントンには兄がいて、この兄がロンドンで仕事をしていたので、それを手伝いに。それからざっと十七年、英国で暮すことになったのですね。
ワシントン・アーヴィングは、おしゃれ語とも無関係ではありません。「ニッカーボッカーズ」。
1809年に、ワシントン・アーヴィングは、『ニュウヨーク史』を出しています。故き佳き時代のニュウヨークを描いた滑稽小説。アーヴィングはこの『ニュウヨーク史』を書く時、「ディートリッヒ・ニッカーボッカー」の遺稿から発見されたものとしたのです。
そしてこの『ニュウヨーク史』に挿絵があって。昔風のオランダ衣裳の半ズボンが描かれていて。このふたつがいつの間にか結びついて、「ニッカーボッカーズ」の言葉が生まれたのです。
もう少し古い表現としての、「ニッカーボッカー」には、故き佳き時代のニュウヨークっ子の意味もあります。

ワシントン・アーヴィングが尊敬していた詩人に、ウォルター・スコットが。ウォルター・スコットは、英国の作家。1771年、スコットランドのエディンバラに生まれています。
1821年、英国王のジョージ四世がはじめてスコットランドを訪れて時、タータンをように薦めたのも、ウォルター・スコットでありました。
ワシントン・アーヴィングが、ウォルター・スコットを訪ねたのは、1817年8月30日の朝のこと。

「ボタン穴に犬笛をぶら下げた緑色の古びた狩猟用上着に、茶色のリンネルのズボンという出立ちで……………。」

アーヴィング著『ウォルター・スコット邸訪問記』には、そのように書いてあります。もちろん、アーヴィングを迎え出たウォルター・スコットの着こなしについて。

ワシントン・アーヴィングは、1829年には、スペインを旅してもいます。その結果に仕上げたのが、『アルハンブラ物語』1832年の刊行。『アルハンブラ物語』を読んでおりますと。

「エスパルトで編んだサンダルを履き、頭には色つきの布を……………。」

これは旅の途中で会ったバレンシア人の若者の様子として。
少なくとも1820年代のスペインに、「エスパルトのサンダル」があったことが、窺えるでしょう。
「エスパルト」は、植物の名前。「アフリカハネガヤ」とも。茅の一種なんでしょう。
このエスパルトで編んだ底の海浜靴が、「エスパドリーユ」なんですね。
エスパルトの縄の底は、濡れた水辺でも、滑りにくい特徴があります。
どなたかクラッシックのエスパドリーユを作って頂けませんでしょうか。

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