小村は、日本の姓にもありますよね。小村で、絵師となれば、小村雪岱でしょうか。
小村雪岱は明治二十年三月二十四日、川越に生まれています。絵師になることをめざしたのは、十六歳の時だったそうです。
小村雪岱は大正から昭和のはじめに活躍した人物。でも、今の時代と関係なくもありません。
「資生堂」。あの「資生堂」のもともとの書体を工夫したのも、小村雪岱なんですね。
大正七年に、小村雪岱は乞われて、「資生堂」の意匠部に入っています。その頃の資生堂では、香水の輸出を考えていて、日本ふうの意匠を。これを手がけたのも、小村雪岱でありました。
小村雪岱の出世作となったのは、『日本橋』。泉 鏡花の名作。鏡花は雪岱の絵を見て、会ったこともない二十七歳の雪岱に装丁を依頼したのです。
小村雪岱にとってはじめての装丁。『日本橋』。これは後世に遺る、日本の宝であります。これが大きなきっかけとなって、それからは鏡花の挿絵を手がけるようになったものです。
「妖艶」という日本語があります。もし、その意味がわからない時には、雪岱の絵を観るに限ります。
泉 鏡花が明治三十三年に発表した傑作に、『高野聖』があります。鏡花がもっとも得意とする美の世界を描いた幻想小説。
この『高野聖』の挿絵もまた、小村雪岱。小説もさることながら、雪岱の絵には、言葉なしに引き込まれてしまいます。
「このまた万金丹の下廻りときた日には、ご存じの通り、千筋の単に小倉の帯………」
鏡花の『高野聖』には、そんな文章が出てきます。ここでの「千筋」が細い縞柄であるのは、いうまでもないでしょう。
また「小倉」は、小倉織のこと。その昔、九州の小倉地方で織られたので、その名前があります。木綿の杢糸が用いられるのが、特徴。私も夏の学生服として、小倉を着た記憶があります。
どなたか小倉織を復活させて頂けませんでしょうか。