パリとパトゥ

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

パリは、フランスの都ですよね。Paris と書いて、「パリ」。もし漢字で書くなら、「巴里」でしょうか。
仮にベル・エポック以前ならたしかに「巴里」と書くのがふさわしいでしょう。
そして二十世紀以降なら、やはり「パリ」かと想われます。
昭和四年に、パリに旅した作家に、岡本かの子がいます。言うまでもなく、岡本太郎のお母さん。岡本太郎のお父さんが、やはり画家の岡本一平。

「あの、桃の肉が溶けているイタリーのヴェルモットはありませんかしら」
と誂えて置いてトオクを冠った女客がホールの鏡壁の七面へ映る七人の自分に対して好き嫌いをつけている。

岡本かの子著『巴里のキャフェ』にそのように書いています。
パリの、ロンポアンの、「カフェ・ロンポアン」での相客の様子を。
ここでの「トオク」は「トーク」toque のことかと思われます。やや背の高い、縁なしの婦人帽のことです。当時、流行中の帽子でありました。トーク帽の女は、カフェの壁面の鏡に自分を写して愉しんでいるわけですね。
さすがに作家らしい描写であります。
その「カフェ・ロンポアン」で相客の会話を聞いた岡本かの子は、消防士の話も書いています。
パリの消防署長が、火事の際の白ワインをやめることにした、と。それまでは、火事を消しに行く隊員には、ワインが振る舞われる習慣が。でも、飲み過ぎて眠る隊員が出てきたので。
これもまた、いかにも巴里らしい話ではありませんか。

パリを愛したフランスの作家に、セリーヌがいます。
ルイ・フェルディナント・セリーヌは、1984年5月27日、巴里近郊に生まれて。
代表作は、『城から城』でしょうか。
リュセット・デトゥーシュが書いた伝記に、『セリーヌ』があります。2001年の刊行。リュセットは、セリーヌの奥さんだったお方

「亡くなってひと月のあいだ〈パトゥー〉の特別仕立てのドレスが次々に届いた。」

これはリュセットのお母さんが生前に注文していたドレスとして。リュセットのお母さんは以前、「ランヴァン」で仕事をしていたんだそうですが。

パトゥ Patou は歴史に遺こすべきパリのオオトクチュール・デザイナー。また、歴史に遺すべき洒落者でもありました。
ジャン・パトゥは、1887年、ノルマンディーに生まれています。
第一次大戦を挟んで巴里に店を開いたのが、1919年のこと。1920年代のパリではモオドのスタアであった人物。
いつもブートニエールとスパッツを欠かさないことでも、有名でありました。
どなたか1920年代のパトゥふうのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone