ダンスは、踊りのことですよね。舞踏のことであります。
ダンスが出てくる歌に、『ラスト・ダンスは私と』があるのは、ご存じの通り。
🎶 好きな人と 踊ってらしていいわ
こんなふうにはじまるんですね。そして。
🎶 最後の踊りだけは どうぞ忘れないで
と続くわけですね。それで、『ラストダンスは私と』の題名になっているわけです。
フランスなら『ガルドモア・ラ・デルニエール・ダンス』になるのでしょうか。
1960年代にフランスでシャンソンとしてヒット。それが日本に伝えられたので、シャンソンの印象が強い曲です。
日本では、越路吹雪のおはことしてよく識られています。
でも、原曲は、アメリカのポップス。1960年に、
ドク・ポムスと、モート・シューマンとの合作。これは実際にあったことが下敷きになっていて。男の子が、女の子に呼びかける内容になっています。
そのアメリカン・ポップスがフランスに渡って、ボレロ風の曲になって。女の子が男の子に語りかける歌詞になったのです。
ラスト・ダンスはどこの国でも特別で、相手を自宅まで安全に送って行くこと。そんな暗黙のうちの了解があります。だからこその『ラストダンスは私と』、歌われのでしょう。
ダンスが出てくる小説に、『青年は荒野をめざす』があります。1967年に、五木寛之が発表した長篇。五木寛之の出世作とも言える物語ですね。
「ジャズとダンスの好きな男の子や女の子たちが、「青年カフェ」に集まってくる。」
ここでの「青年カフェ」は当時のモスクワのライヴハウスという設定になっています。モスクワのゴーリキ通りにあるということになっているのですが。
物語の主人公は日本の青年「ジュン」。このジュンが「荒野」を目指してモスクワに渡る物語なのです。「
ジュン」は、ジャズのトランペット奏者ということになっています。
ジュンは、人に薦められて、「青年カフェ」の舞台でトランペットを披露することに。
また、『青年は荒野をめざす』には、こんな描写も出てきます。
「朝がた雪がちらついていて、ひどく寒い日だった。ジュンはダークグレイの厚手のダッフルコートを着て、新宿を歩いていた。」
これはジュンがモスクワに行く前の話として。
若きジャズ・トランペッターにダッフル・コートはよく似合うのかも知れませんね。
十九世紀末の英国の小説を読んでおりますと。ダッフルの生地を買う場面が出てきます。「ダッフル」という特別の生地を買って、自宅でそれを縫うわけです。
ダッフル・コートを型紙の上で眺めますと、ほとんど直接裁ちに近い。けっして難しい縫い方ではありません。
十八世紀には、北欧の漁師が、自分たちで仕立てたのでしょうから、当然のことでもあります。
トグル・ボタンひとつにしても無骨そのもの。無骨だけれども、機能は充分。手袋を嵌めた手で、かじかんだ指先で、トグルをループに通すことができるのですからね。
無骨にして機能満載。人はここに、ダッフル・コートへの魅力を感じるのです。