バイロンは、英国の詩人ですよね。代表作は、『チャイルド・ハロルドの巡礼』でしょうか。
当時の英国の習慣に、「グランド・ツアー」ということがあったんだそうです。もちろん良家の男の子に限って。まあ人生勉強のための遊学であったのでしょうが。
1809年7月2日。まずはスペインに向けて、船出しています。これはバイロンにとってのグランド・ツアーだったのでしょう。バイロン、二十一歳の時のことであります。
バイロンは、「ハロー校」から「ケンブリッジ大学」に進んでいますから、選良でもあったのです。
1811年7月14日に、帰国。ざっと二年におよぶ旅だったわけですね。この旅の間、バイロンはたくさんの経験をし、たくさんの恋をもしています。
船は真白き帆をひろげぬ。
傾く帆柱のうえ高く鳴りひびくは
吹きつのる嵐の雄たけびの歌
かくて、われはこの国より走る
『チャイルド・ハロルドの巡礼』の中に、バイロンはそのように詠んでいます。
バイロンは船旅に強かったらしい。大嵐の中、船乗りが神に祈りを捧げている隣で、熟睡していることもあったとか。
また、泳ぎも得意だったという。
1810年の4月、ギリシアに到着。ギリシアには、流れの早いダーダネルス海峡があって。ギリシア神話の「レアンドロス」が、恋人に会うためにこの海峡を泳いで渡ったと伝えられています。
バイロンは、レアンドロスになって。見事に、ダーダネルス海峡を泳ぎ渡っているのです。1810年5月3日のこと。一時間と十分をかけて。
『チャイルド・ハロルドの巡礼』が出版されたのは、1812年3月10日のこと。
「朝、目がさめてみると、私は有名になっていた。」
バイロンがそう言ったのは、その頃のことでしょう。
バイロンが出てくる小説に、『二人の詩人』があります。フランスの作家、バルザックが1837年に発表した物語。
「そしてバルジュトン夫人がアングレームのバイロンことリュシアンに恋して以来………」
つまり、「リュシアン」をバイロンになぞらえているわけですね。
また、『二人の詩人』には、こんな描写も出てきます。
「バルジュトン夫人は、切り込みの入った黒いビロードのベレー帽をかぶっていた。最新流行なのである。」
この「最新流行」のベレエは、バスク型ではなかったでしょうか。
「バスク」basque béret。どなたかスリットのあるバスク・ベレエを作って頂けませんでしょうか。