東京とトルゥーズ

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東京は、昔の江戸のことですよね。明治維新を境に、江戸から東京になったわけです。今でも「江戸っ子」という言葉が遺っているほどに。
「神田の生まれよ」。そんな科白があるように、なぜか江戸っ子は神田の生まれと決まっているらしい。
神田に生まれた作家に、永井龍男がいます。明治三十七年5月20日に、神田に於いて誕生。もっともご本人に言わせますと、「たしかに5月20日とは言い難い」とのことです。なぜならその時代の出生届はあんまりきちんとしたものではなかったらしいので。
永井龍男の随筆集『東京の横丁』を読むと、昔の東京の話がたくさん出てきます。

「さらにはミルク・ホール、手軽なカツレツとライスカレーの洋食屋、しるこや、そばやののれんなど………」

当時の神田の様子をそんなふうに描いています。
永井龍男は昭和二年に、「文藝春秋」に入社しているのですが。

「さて昭和二年の二月二十日、当時麹町下六番町に在った文藝春秋社へ、菊池寛氏を訪ねた。」

『東京の横丁』に、そのように永井龍男は書いています。
永井龍男が菊池 寛に会うと、言った。
「人は余っている。」
事実、その通りだったようです。つまり採用を断られたわけですね。永井龍男はがっかりして、菅 忠雄の部屋へ。菅
忠雄はその頃、『文藝春秋』の編集長だったお方。
部屋に行ってみると、客として、横光利一が来ていて。初対面の挨拶を。
「君は今日、何の用事で来たのですか?」
横光利一が永井龍男に問う。永井龍男はあるがまま、就職に来たけれど断られた、と。すると、横光利一は言った。
「もう一度僕と行ってみましょう。」
再び、横光利一と一緒に菊池 寛の前に。と、菊池 寛はこう言ったそうです。

「明日からいらっしゃい。僕のポケット・マネーから月々三十円出しましょう。」

私は、横光利一のおかげで文藝春秋に入社できた。永井龍男はそんなふうに書いています。

「私は今さんと鎌倉だけでもすでに五十年のお付き合いを願ってきた者でございます。」

1981年8月1日の「今日出海告別式」で、永井龍男は友人として、そのように述べています。
今日出海のお兄さんが、今 東光。今 東光の初期作品に、『パラソル』があります。

「………黄色いのに黒い縞の豹、桃色の餅、スコットランドの兵隊のズボン、そういう雑多な色が幻惑した。」

これは傘屋でパラソルを眺めている場面として。
「スコットランドの兵隊のズボン」。これは「トルゥーズ」trews
のことではないでしょうか。スコットランド衣裳での正装でもあります。より細く、より長いシルエットのズボン。もっとも「トルゥーズ」自体、「ズボン」の意味だったそうですが。
どなたか東京で履けるトルゥーズを仕立てて頂けませんでしょうか。

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