紀元節とキルト

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紀元節は、昔の祭日ですよね。今はありません。というよりも、建国記念日が、以前の紀元節の名残なのでしょう。
昔昔、神武天皇が即位された日が二月十一日だったというのですから、古い話なのですが。
夏目漱石の随筆に、『紀元節』があります。明治四十二年の、二月十一日の『大阪毎日新聞』に発表されたものです。

「誰か記を紀と直した様だが、記と書いて好いんですよ」

これは漱石がまだ子どもの頃の話。ある年の紀元節に、先生が黒板に「記元節」と大きく書いて、教室を出て行った。
すると生徒のひとりが、「記」を消して、「紀」と書き直した。
実は、直したのは、若き日の漱石であった。そんな内容になっています。
同じく明治四十二年に漱石が書いた随筆に、『昔』があるのですが。
これは漱石がロンドン留学中に、スコットランドに行った話なのです。
場所は、スコットランドのピトロクリ。漱石は随筆の中に、「ピトロクリ」と書いています。が、ほんとうは、「ピトロホリ」Pitolochry
とする方が近いようですが。
当時のピトロホリは、ウイスキイとトゥイードの産地であったという。
漱石がピトロホリを訪問したのは、十月のことだったらしい。

「形装も尋常ではない。腰にキルトといふものを着けてゐる。俥の膝掛の様に粗い縞の織物である。」

これは漱石が世話になった宿の主人の姿として。ここでの「俥」が人力車であるのは言うまでもないでしょう。
もちろんタータンだったわけですね。また漱石は続けてこうも書いています。

「木魚の名をスポーランと云ふ。」

漱石ははじめてスポーランを見て、日本の木魚を想ったらしい。
どなたか日本で穿けるキルトを仕立てて頂けませんでしょうか。

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