ボンベイとボウラー

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ボンベイは、インドの地名ですよね。今のムンバイのことであります。
もともとの地名は、ムンバイ。それを英国植民地時代に、「ボンベイ」に変えられて。後に、元の「ムンバイ」に直した結果なのです。
昭和二十八年に当時の「ボンベイ」に旅した画家に、阿部展也がいます。ボンベイには無数の石窟があって、それを描くための旅だったのですね。

「古都プーナとボンベイのほぼ中間にあるカールリー石窟、ボンベイ近郊カーンヘーリ石窟の他………」

阿部展也の紀行文『インド西南部石窟』に、そのように書いています。これらの石窟はいずれも六世紀から七世紀のものであるとのことです。

ボンベイが出てくる自伝に、『ガンジー自伝』があります。もちろんインドの偉人、マハトマ・ガンディーの伝記であります。この本には、たくさんの経験が述べられているのです。が、ガンディーがなし遂げた誇るべき話はひとつも書かれていません。謙虚この上もない稀な伝記であります。

「そして織ってもらうためには、彼らの織った布を全部道場で買い取る、という条件がつけられた。」

これはボンベイでのこと。ガンディーが先頭に立って、手織りの国産綿布を完成させる場面。インドでの手織りによる綿布は、ガンディーの力によるものです。
ガンディーが立派だったのは、自分がはじめ、最後までそれを続けてことでしょう。

1887年、十八歳のガンディーは、ロンドンへ。大学で法律を学ぶために。事実、ロンドン大学卒業後は、弁護士になっています。

「わたしはまた、、十九シリングもする ー あのころとしては法外に高い値段 ー 山高帽を求めた。」

1887年のロンドンで、ボウラーが、19シリングだったことが分かるでしょう。
また、ガンディーは、ロンドンで洋服も購入しています。ボンベイで仕立てた服装とはよほど違っていたので。
どなたか1887年のボウラーを復活させて頂けませんでしょうか。

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