チャーチルとチェスターフィールド・コート

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チャーチルで、政治家で、英国人でといえば、ウインストン・チャーチルでしょうか。
政治家はいつの時代、どこの国でも人気のないものです。大衆は政治家の良いところは忘れて、良くないことを覚えているものですから。
古今東西、例外的に人気の高い政治家に、ウインストン・チャーチルがいます。どうしてチャーチルだけがそんなに人気があるのか。イギリスの大貴族だったからでしょうか。いえいえ、そうではありません。飾らない、包み隠さない人間性に、人気があったのでしょう。
昔むかし、チャーチルは敵に捕らえられたことがあります。ボーア戦争中に。1899年のこと。ウインストン・チャーチルは、二十四歳の時。この時にはたまたま『モーニング・ポスト』紙の取材記者として、戦場にいたのですが。
結局、チャーチルは敵の捕虜になるんです。で、チャーチルはどうしたのか。隙を見て、脱走。脱走には、成功。

「食糧は底をつきそうだった。
日中は隠れていて、夜になると歩き続けた。」

『チャーチルは語る』に、そのように述べています。この頃すでにチャーチルは重要人物とみなされて、高額の懸賞金がつけらられていたのです。そのために多くの人がチャーチルを探していた。
チャーチルは奇跡的に見方に巡り合って、無事帰国を果たしています。1899年12月のことです。「チャーチル逮捕」は英国内でもニュースになっていて、そのチャーチルが帰って来たので、当然人気者になっています。

1940年12月31日。チャーチルは爆破されたロンドン市庁舎を視察。この時のチャーチルはボウラーをかぶり、チェスターフィールド・コートを羽織っています。
「チェスターフィールド・コート」chesterfield coat に、ボウラーはよく似合います。
どなたか1940年のチェスターフィールド・コートを復元して頂けませんでしょうか。

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