シャンソンとシグネット・リング

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シャンソンは、フランスの歌ですよね。シャンソンは、心の歌であり、人生の歌であり、霊の歌であります。
『ラ・ヴィ・アン・ローズ』を聴いて涙を流したお方も少なくはないでしょう。あるいはまた、『愛の讃歌』に。
『愛の讃歌』は、実際にあった話を歌にしたものですから、感動が深いのも当然かも知れませんね。『愛の讃歌』は、エディット・ピアフの人生のひとこまを歌にしたものであります。
エディット・ピアフは、1915年12月19日。巴里に生まれています。ベルヴィル通り72番地で。一説にはここのアパルトマンの階段で生まれたとも言われているのですが。
今現在のベルヴィルは、可愛い、個性的なレストランがある街でもあります。
そもそものピアフは、幼い路上芸人だったという。ピアフは歌うことの天才だったのです。路上で歌い、投げ銭を貰っていたのでしょう。
それから、やがて舞台に立つように。1935年の10月には、巴里のキャバレエで歌うようになっています。
1937年には、『私の兵隊さん』で、レコード・デヴュウ。
1944年には、イヴ・モンタンと出会っています。その時代のイヴ・モンタンはカウボーイに扮して、カウボーイの歌を歌っていたらしい。
最初、ピアフはモンタンを無視。ところがある時、同じ舞台に立つことになって、モンタンに忠告。
「本物のシャンソンをお歌いなさい」
このピアフの忠告を一から、十まで聞いたのが、モンタンだったのです。
ピアフはモンタンに、鉛筆を口に咥えさせてシャンソンを歌わせたと伝えられています。モンタンの訛りを直させるために。もちろん、服装も変えました。ふつうの恰好で、「ふつうではない」歌を歌うために。
イヴ・モンタンが自立した後に吹き込んだのが、『バラ色の人生』だったのです。1946年のことであります。
シャンソンが出てくる創作に、『パリ環状通り』があります。フランスの作家、パトリック・モディアノが、1972年に発表した小説。

「が、聞こえてきたシャンソンが気に入ると、彼女はつまみを回して音量を上げる。」

これは「モー・ガラ」がラジオを聴いている場面として。
『パリ環状通り』には、こんな描写も出てきます。

「なぜ認印つきのプラチナの指輪などはめているのか。」

これは「ミュラー」という紳士について。
「認印つきのプラチナの指輪」。たぶん、シグネット・リング」signet ring のことかと思われます。
どなたかふつうのシグネット・リングを作って頂けませんでしょうか。

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