マタイ受難曲は、バッハの名曲ですよね。1729年頃の作曲だと言われています。もちろん、ヨハン・セバスティアン・バッハの作曲です。
ヨハン・セバスティアン・バッハは、1685年3月21日に生まれ、1750年7月28日。六十五歳で天に召されています。
『マタイ受難曲』は、宗教曲。でも、宗教とは関係なく崇高な想いに浸れるのは、なぜなのでしょうか。今から、ざっと三百年ほど前の曲なのですが。
「バッハの『マタイ受難曲』は、単に至高の音楽であるばかりでなく、恐らく、古今を通じて人類が有った最高の傑作だろうから………」
作家の五味康祐は、『天の聲西方の音』の中で、そのように書いています。
バッハの『マタイ受難曲』を最上の藝術だと考える人は、少なくない」ようです。
作曲家、武満 徹もまた、『マタイ受難曲』がお好きだったようです。
1945年に、武満
徹が偶然にシャンソンを聴いた話はあまりに有名でしょう。戦争末期。勤労動員の最中で。ほんとうはいけないことだけれど、友人がこっそり一枚のレコードをかけていた。
そのシャンソンが、武満 徹の身体に電流を走らせた。リシュエンヌ・ボワイエの『聞かせてよ愛の言葉を』だったのです。
「そうだ、戦争が終わったら、音楽の道を進もう」
武満 徹がそのように呟いた瞬間だったのであります。
1996年2月。武満
徹は東京、虎ノ門の病院に入院していました。この日はたまたま東京には珍しい大雪。武満は電話で、浅香夫人に、「今日は来なくてもいいよ」。
2月18日の午後。武満
徹はひとり病室に。午後3時頃、なんとなく枕元のラジオのスイッチを。NHKのFM。そこから流れてきたのが、『マタイ受難曲』だったのです。
武満 徹は、1996年2月20日、永眠。『マタイ受難曲』はたぶん武満が最期に聴いた曲だったでしょう。
六十五歳の人生でありました。これはバッハと同じ年月だったのです。
武満
徹がお好きだったものに、マリン・キャップがあります。1991年9月21日、「八ヶ岳高原音楽堂」を背景に写された写真にも、マリン・キャップ姿で写っています。
マリン・キャップもまた、ジーンズに似て、年齢も身分も問わない気楽さがあります。
どなたか武満 徹流のマリン・キャップを作って頂けませんでしょうか。