ぶどうとブーツ

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ぶどうは、ワインの原料ですよね。ぶどうがないことにはワインは造れません。ワインを味わう時には、ぶどうの実りに感謝しましょう。

日本のぶどうの歴史は、奈良時代にはじまるとの説があります。行基(ぎょうき)というお坊さんが、今の中国からぶどうの種を持ち帰ったんだとか。そのぶどうの種がうまく根づいたのが、甲州だったと伝えられています。

 

「甲州に最も多く、駿州がこれに次ぐ。ともに江都(えど)の市上に伝送して販売している。」

 

人見必大が、著した『本朝食鑑』に、そのように出ています。もちろん、ぶどうの項目に。また、『本朝食鑑』には、江戸時代前の日本では、ぶどうを食べる習慣はなかったとも、書いているのですが。

では、ワインはいつ頃、日本に伝えられたのか。

 

「外国より来る酒々は、ぶだう酒、ちんた、はあぎ、につは、阿刺吉、まさき、など云。本邦に古よりいまだあらざる珍酒也。」

 

宝栄六年(1709年)に、貝原益軒が書いた『大和本草』に、そのように出ています。ここでの「ちんた」は、今の赤ワインのことです。

つまり江戸時代には、知識としての「ワイン」はあったようですね。ただ、一般の日本人の口にはまず入らなかったでしょうが。

 

明治十年八月二十一日から、「第一回内国勧業博覧会」が開かれて。この時、山梨からワインが2本出品されています。それは山梨の、詫間憲久が出品したぶどう酒だったのですが。

この詫間憲久こそ甲州でのワイン造りの草分けの人ではなかったでしょうか。

 

ぶどうが出てくる紀行文に、『一詩人のバザール』があります。アンデルセンが、1892年に発表した紀行文の、ドイツ編に出てきます。

 

「正午近く、ボーツェンに着いた。まだ葉の着いている木立もあったし、生け垣にもまた赤味がかったぶどうの葉が垂れていた。」

 

ボーツェンは、やがてイタリア国境に近いドイツの町。事実、アンデルセンはここからさらにイタリアに足を伸ばしているのですが。

アンデルセンもまた旅がお好きだった詩人で、多くの旅から、多くの詩が生まれています。

 

「一八四四年の夏、私は再度北ドイツを訪問した。オルでンブルクのさる一家から、しばらくその家庭に滞在するようにという丁重な招待を受けた。」

 

『アンデルセン自伝』に、そのように出ています。当時、アンデルセンは有名な詩人で、多くの富豪から歓待されたらしい。

 

「コペンハーゲンを発つ前日、モーリッツが内側が毛皮のブーツを何足か持って現れた。」

 

アリソン・プリンス著『ハンス・クリスチャン・アンデルセン』に、そのような一節が出てきます。これはアンデルセンの後援者だった人物の好意として。

ファー・ラインド・ブーツでしょうか。

どなたか裏に毛皮を張ったブーツを作って頂けませんでしょうか。

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