鰤は、魚の名前ですよね。鰤の照焼は、旨いものであります。
鰤はまた、出世魚でもありまして。縁起の良い魚だとされています。
関東地方では。「ワカシ、イナダ、ワラサ、ブリ」。この順に大きくなってゆくわけです。
関西地方では。「ツバス、ハマチ、メジロ、ブリ」と、出世してゆくんだそうです。
鰤の本場は富山との説がありまして。富山辺りでは。
「ツバエツ、コズクラ、フクラギ、ガント、コブリ、ブリ、オオブリ」。こんなふうに呼び名が変ってゆくんだとか。
富山沖で揚がる鰤には定評があります。日本海側なので。冬の日本海の水温は低い。それで鰤に脂がのっているから。今も昔も富山の鰤は珍重されています。
鰤には鰤の時期があって、「鰤起こし」。毎年の十一月下旬。季節風と、雷雪。雷が轟き、雪が舞い、雪に霙がまじって。海は大荒れに荒れる。この日が、「鰤起こし」。鰤をとるのには最良の日なんだそうです。
江戸時代から富山で揚った鰤は、信州をはじめ日本各地に送られたという。鰤を塩漬にして、人の背に負われて、徒歩で。いわゆる「鰤街道」であります。江戸の頃の「鰤街道」は、今もその名残を偲ぶことができるんだそうですね。
「此女、不老丸ものまず、人魚も喰はねど、鰤のはしりを十月比より喰ひ、正月の事ども霜月中に仕まはせ、」
井原西鶴が、元禄七年に発表した『西鶴織留』に、そのような一節が出てきます。これは人びとが「女仙」と呼んでいる女性について。とうに三十を越えているのに、どこから見ても少女にしか思えない。それは鰤のせいだろうという内容になっています。
西鶴の時代には鰤は不老長寿の薬だったのでしょうか。それはともかく、正月には鰤を食べる習慣があったのは、間違いないでしょう。
富山辺りでは、囲炉裏の上に鰤一尾、頭を下にして下げておく。それで火の通った所から少しづつ切って食べたんだそうですね。
明治十年六月八日に、今の松本市に生まれたのが、歌人の窪田空穗。窪田空穗には、『大年』の随筆があります。ここでの「大年」は、大晦日のこと。
「馳走といっても仕来たりの質素な物で、塩鰤の大きな切りこみ一切れに、大根と人参の膾で、その他には、正月の酒の肴の数の子、黒豆、田つくり、芋、大根、人参などのいわゆるせっちくらいの物である。」
窪田空穗は少年時代をそのように振り返っています。たぶん明治二十年頃の話かと思われるのですが。
窪田空穗はその鰤が待ちきれなかったという。
鰤はなぜか大根とよく合います。「鰤大根」というではありませんか。
あるいはまた、「鰤粕汁」。心も身体も温まる食べ物ですね。
身体を温めてくれるものに、外套があります。あらゆる外套の中で、もっとも英国的な外套に、ブリティッシュ・サーヴィス・ウォームがあります。俗に「ブリティッシュ・ウォーム」と呼ばれるコートのことです。
第一次大戦中のイギリス陸軍が、将校用に採用した外套。フィンガーティップ・レングスであるには、馬への乗り降りを考えてのこと。
英語としての「ブリティッシュ・サーヴィス・ウォーム」は、1901年頃から用いられています。
後にこの「ブリティッシュ・サーヴィス・ウォーム」が短くなって、ブリティッシュ・ウォームとなったものです。
どなたか二十世紀はじめのブリティッシュ・サーヴィス・ウォームを仕立てて頂けませんでしょうか。