カサブランカは、地名にもありますよね。北アフリカのモロッコに、カサブランカがあります。
Casablanca と書いて「カサブランカ」と訓みます。モロッコの首都は、ラバト。でも、ラバトよりもカサブランカのほうが大きい街なんだとか。
カサブランカはスペイン語で、「白い家」の意味。その前にはアラビア語で、「ダル・エル・ベイダ」と呼ばれていたらしい。「白い家」。それをスペイン人が「カサブランカ」と言い替えたんだそうです。
1907年からは、フランス領。今でもフランスを想わせるところがあるのは、そのためなのでしょう。
「マルセイユを出て四日目の朝、我々の船はモロッコの国際港カサブランカに着いた。」
きだ・みのるは紀行文『モロッコへの道』に、そのように書いてあります。昭和十三年の記録として。
「歩道の上では街路樹の影に眩しい熱気を避けながら白い長衣のビュルヌスを着たモロッコ人が悠々と裸足で歩いている。」
きだ・みのるは『モロッコへの道』に、そのように書いています。
「ビュルヌス」。これはフランスでいうところの「ビュルヌ」burnous のことかと思われます。白いウール生地のマント風の衣裳。共地のフードが付いて。
十九世紀に、ウージェニー皇后がビュルヌを着て、巴里で流行ったことがあります。エジプトの旅から帰ってすぐのことだったので。また、これに似た幼児服のことも、「ビュルヌ」の名前で呼ばれることがあります。
「私はそこに入って、饒舌なモロッコ青年の間に席を取り、ビールと焼肉を注文した。」
きだ・みのるの『モロッコへの道』には、そんな一節も出てきます。これはカサブランカでの羊のモツ料理屋でのこととして。
昭和二十九年に、カサブランカに旅した作家に、大宅壮一がいます。大宅壮一には、『物情騒然たる北アフリカ』の紀行文があります。
「カサブランカはエキゾチックな、スリルに富んだ町を想像していたけれど、きてみれば近代的な大都会である。パリを小さくしたようなもので、仏印のサイゴンなどとよく似ている。事実、パリの一流商店がみな支店を出している。」
大宅壮一はそのように書いています。
1950年に、カサブランカに旅した映画俳優に、ジェラール・フリップがいます。ジェラール・フリップは、1922年12月4日。午後二時に、フランスのカンヌに生まれています。ジェラール・フリップは典型的な美男俳優。
「危うく出発し損ねそうでしたが、おかげさまで無事当地に着き、ここ数日間、思い切り休暇を楽しんでいます。」
1950年11月7日。ジェラール・フリップはカサブランカからそのような内容の手紙を出しています。
その頃のジェラール・フリップは古い車が趣味で、この時も年代物のフォードを運転していたそうですね。
ジェラール・フリップは、1943年の映画『夢の箱』が第一作。
1957年の映画『モンパルナスの灯』では、画家のモデリアーニに扮して、好演。
ジェラール・フリップのふだんの家の中では、大柄な格子のシャツを着ていたそうです。
「格子柄」。フランスなら「カロ」carreau でしょうか。
どなたか大柄なカロのシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。