巴里は、美食の都ですよね。巴里では美食にうるさいことは、美徳だと考えられているらしい。
昔むかし、巴里のビストロで食事した時のこと。出てきた料理の温度が少し低くかった。それを巴里に長く住んでいる友に言うと。「取り代えてもらいなさい」。私が恐る恐るウエイターにそのことをいうと、笑顔で温かい皿を持って来てくれたことがあります。とても忙しい店だったのに。
「バターをつけたり、ミルクを入れたり、するが、しみじみと伝統的に洗練されて来るパンと珈琲の味を吟味するのである。」
岡本かの子は『食魔』の中に、戦前の巴里での朝食について、そのように書いています。
「なるほどブィヤベエズやコキアージュは船でも食ったが本場はもっと磯臭く旨かった。カキと生うにが中でも一番旨い。」
昭和十二年にフランスに旅した今 日出海は、そのように書いています。これは船で知り会った、マルセイユ生まれの男の案内で入ったレストランについて。
「オムレツはうちで出来たてをたべるべきだ。レストランでさめたオムレツに真っ赤なケチャップがかかっているものなど、むしろ食べないほうがまし。おいしく出来上ったオムレツには、ケチャップもソースもおしょう油もつけないほうが、おいしいくらいである。」
石井好子は、『巴里の空の下オムレツの匂いは流れる』の中に、そのように書いてあります。
『巴里の空の下オムレツの匂いは流れる』は、発売と同時にベストセラー。今なおロングセラーになっています。花森安治の命名。そもそもシャンソン歌手に、随筆を書かせたのが、花森安治だったのですが。題字や装丁、挿絵もまた、花森安治。
戦後間もなく、石井好子が巴里で下宿していたマダムが、料理上手だったので。
巴里は美食の都。たしかにその通りなのですが。一方、ブキニストの都でもあります。今もセエヌ河のほとりにブキニストが並んでいるのは、ご存じの通り。
あのブキニストは、1859年以来というのですから、古い。
「パリ市では古本屋各自に対して十メートルの胸壁の使用を許し、そのかわりに一年に二十六フラン三十五サンチームの租税と二十五フランの鑑札料を徴収した。」
河盛好蔵は、『河岸の古本屋』に、そのように書いています。1857年には、左岸に55軒、右岸に11軒、シテ島に2軒のブキニストがあったとも。
巴里が出てくる小説に、『「巨匠」とマルガリータ』があります。ミハイル・ブルガーコフの長篇。
「当社は完全に無料で古い婦人物のドレスと靴、パリモードとやはりパリ仕込み靴と交換すると告げた。」
また、『「巨匠」とマルガリータ』には、こんな描写も出てきます。
「ベドウィン族のバーヌースの如く真っ白な別のが、宙に舞い、」
これはテーブルクロスを替えている場面として。
「バーヌース」burnous は、昔ムーア人が羽織った純白の、フード付きマントのこと。それは暑さよけだったので、必ず白だったのですが。
どなたかバーヌースにヒントを得たマントを仕立てて頂けませんでしょうか。