ポテトは、じゃがいものことですよね。英語なら「ポテイトー」potato でしょうか。
ポテトもまた応用範囲の広い食材であります。たとえば、マッシュド・ポテト。マッシュド・ポテトがあれば、ポテト・サラダがすぐに作れますよね。ステーキのつけあわせにも、よく出てきます。
あるいは、ポテト・チップス。イギリスでは拍子に切ってフライにしたものも、「チップス」と呼ぶんだそうですが。
一例ではありますが、「フィッシュ・アンド・チップス」。フィッシュ・アンド・チップスはイギリスの国民食といった印象さえあります。
あのフィッシュ・アンド・チップスは、1860年代にはじまっているんだとか。ユダヤ系のジョゼフ・マーンという人物がロンドンでフィッシュ・アンド・チップスの店を開いて売り出したと、伝えられています。
今、ロンドンにフィッシュ・アンド・チップスの店は8000軒は下らないそうですね。
でも、私たちはチップスというとついポテト・チップスを思い浮かべてしまうのですが。
日本人ではじめてポテト・チップスを食べたお方。それは、久米邦武ではないでしょうか。
久米邦武は天保十年(1838年)7月11日に、佐賀に生まれています。
明治四年、三十三歳の時、アメリカへ。特命全権大使の一行に加えられて。久米邦武は明治十一年に、『米欧回覧実記』を著しています。この時、久米邦武は明治政府から五百円を賜っています。
久米邦武の『米欧回覧実記』を読んでおりますと。
「主人「モーレン」氏酒及ヒ蕃薯の油煎ヲ供ス、是ハ蕃薯ヲ薄片二裁テ、油ニテ煎ごうセルモノニテ、此地ノ名産ナリトイフ」
これは1872年5月11日の記録として。場所はアメリカの、サラトガ・スプリングスで。
サラトガ・スプリングスでポテト・チップスが生まれたのは、1853年の夏のことだったという。サラトガ・スプリングスのレストラン、「ムーンズ・レイク・ハウス」で。ここの料理人、ジョージ・クラムが考案。
ある時、富豪の客がやって来て。薄いフライドポテトを要求。「もっと薄くもっと薄く」というので。半ば冗談に極薄のフライドポテトを。なんとそれがお気に召したので、メニュウにのせるようになったとか。
ポテトが出てくる小説に、『アラン島』があります。アイルランドの作家、ジョン・ミリントン・シングが、1907年に発表した物語。一種の紀行文にもなっているのですが。
「だが日中は、それぞれが空腹を感じたときに、紅茶一椀にパン一切をつまんだり、じゃがいもを食べたりしている。」
当時のアラン島では、決まった時間に食事をする習慣ではなかったらしい。また、『アラン島』には、こんな描写も出てきます。
「ホームスパンなんかを着ていると島の旧式な暮らしに縛られているみたいだから嫌いなんだ、というのが、少年の言い分だった。」
これはシングが、島で知りあった少年の言葉として。シングが、写真を撮ろうとすると、少年は着替えると言って。
「ホームスパン」homespun
は、1600年頃からの英語なんだそうですね。そもそもは自分たちの着る服を、自分たちの織った生地を利用した。このホームスパンの進化した織り方が、トゥイードなのです。
どなたかホームスパンの上着を仕立てて頂けませんでしょうか。