ウォータールーは、地名にもありますよね。
ベルギーのブリュッセルに近い町。今の人口は三万人ほどだとか。
Waterloo と書いて「ウォータールー」と訓みます。ただし、フランスなら「ワーテルロー」になるのですが。
今、英語の辞書で「ウォータールー」を引きますと、「大敗戦」の意味が出ています。
1815年6月18日の、「ウォータールーの戦い」に因んでのこと。
英国のウェリントン軍が、フランスのナポレオン軍を破った日なんですね。
このワーテルローの大敗戦の後、ナポレオンがセント・ヘレナ島に流されるのは、有名な話でしょう。
ウォータールーの戦いは一種の連合軍で、当時、プロシアのブリュヒヤー元帥も参加していたのです。このブリュヒヤー元帥が履いていた軍靴が、今日の「ブルーチャー」blucher
の原型なのです。つまり、外羽根式の靴のことであります。
そしてまた、ウォータールーの戦勝を記念しての橋が、「ウォータールー・ブリッジ」なのです。
このウォータールー・ブリッジが出てくる名画が、『哀愁』。『哀愁』は日本での題名。原題は、『ウォータールー・ブリッジ』なのですね。
1940年のアメリカ映画。ヴィヴィアン・リーと、ロバート・テイラーとの共演。ロバート・テイラーの役は、英国陸軍の将校。
『哀愁』はひと口に言ってしまうと、戦争悲恋でしょうか。
映画『哀愁』にヒントを得たラジオ・ドラマが、『君の名は』なんですね。菊田一夫の原作。
もともとはラジオ・ドラマだったのですが、あまりの人気に映画化もされています。現在も数寄屋橋を歩くと、「君の名は」の記念碑が建っています。
とにかく『君の名は』のラジオ放送がはじまる時間には、全国の銭湯の女湯ががら空きになったほど。
『君の名は』のラジオ放送は、昭和二十七年四月十日からはじまっています。物語はほぼ決っていたのですが、直前まで題名が決まらなくて。
当時のことですから、題名は検閲を受けなくてはならない。
その時、NHKの吉川義雄は、菊田一夫に代ってGHQと交渉。「次の題は?
」と問われて、とっさに「君の名は」と答えて。「ああ、ワット・ユア・ネイムね。よろしい。」
これで、決ったんだとか。その頃、疲労困憊だった菊田一夫も、後になってその題名を知ったという。
「この連続放送は三ヵ所(東京、佐渡、志摩)の地点と、その地点に生きている三つのグループの人間をその縁のない組み合わせから出発した。」
菊田一夫は昭和二十七年に、『放送文化』の中に、そのように書いてあります。
そもそもの物語は戦争で生き別れになった相手を探す物語でした。でも、最初の聴収率はあまりよくなくて。しかし、真知子と春樹の話になると、急激に人気が出て。菊田一夫としても、恋愛とその擦れ違いを描かないわけには、いかなかったのでしょう。
ある意味では、ラジオ放送の愛好者が創ったドラマ。そうも言えるでしょう。世の中、なにが起きるかわからないものですね。
『君の名は』が映画化された時の配役が、岸 惠子と、佐田啓二。
岸 惠子がロケ中寒いので、待ち時間にマフラーを頭から巻いて。これが「真知子巻き」として、大流行。
映画『哀愁』から流行ったのが、トレンチ・コオト。あの名画『カサブランカ』が1942年の映画。『哀愁』の方が二年ほどはやいのです。
トレンチ・コオトの特徴は、防水。ウォータープルーフ。
強撚糸は、水を含むと膨らむ。お互いに糸が膨らむことで、密に。それ以上の水を透さない。という考え方なのですね。
どなたかウォータープルーフの外套を仕立てて頂けませんでしょうか。