フォアグラとフェルト

フォアグラは、世界三大珍味のひとつですよね。
キャヴィアがあって、フォアグラがあって、トリュッフがあって。これこそ食通垂涎の的ということになっています。
foir gras と書いて「フォアグラ」と訓みます。「大きな肝」の意味。鵞鳥の肝臓を太らせて、それを人間様が頂くわけです。
フォアグラは少なくとも古代ギリシアの時代にはあったという。主にいちじくの実をたくさん食べさせて、肝が大きくなるようにしたんだとか。
英国の作家、サマセット・モオムが1944年に発表した小説に、『剃刀の刃』があります。この中に。

「まったく話にならない。フォアグラのパテなしのピクニックなど許されるものか。まずはカレー風味のエビ、鶏の胸肉のゼリー寄せ、そしてレタスの芯のサラダだな。」

そんな一節が出てきます。これはエリオット・テンプルの科白として。たしかに戸外で食べるフォアグラも美味しいのでしょうが。モオムは大の美食家でありました。たぶん、フォアグラもお好きだったに違いありません。
1959年に吉田健一が発表した短篇に、『残光』があるのですが。この中に。

「それに添へて、小さな瀬戸物の壺に入れたフォアグラもあれば、氷を刳り抜いて作つた皿にペルシヤのカビアも盛つてある。」

これは飛行機のなかでの食事風景。ここに「それ」とあるのは食前酒のこと。食前酒に合わせて、フォアグラやキャヴィアが出されたのでしょう。吉田健一は、「カビア」とお書きになっているのですが。
また、この文章に続けて。「フロインドリーブ」のパンに北海道産バタをつけて食べる場面も出てきます。吉田健一は、「バタ」と書いていますので。
フォアグラが出てくるラジオ・ドラマに、『フォアグラと公僕』があります。作家の林
京子が、1995年に発表した戯曲。NHKでは、1995年10月7日に放送されています。

「超一流のシャンペンとフォアグラと、キャビアもだ。」

これはアメリカの軍人、ボブの言葉として。
たしかにシャンパンにキャヴィアやフォアグラは合うでしょうね。
フランスでのフォアグラの本場はストラスブールということになっています。以前、ストラスブールに足を運んだ作家に、日影丈吉がいます。昭和五十九年頃のこと。

「その年の夏、私はパリをたってストラスブールに行った。一年ほど前にそこのフォア・グラ屋の主人と、工場を見せてもらう約束をしていたのである。」

日影丈吉は『ある絵画論』の中に、そのように書いてあります。
日影丈吉は作家であると同時に、フランス料理の専門家でもありましたから。

「いちばん出席率のよかったのは、いまホテル・オークラの料理長兼常務理事の小野正吉君だったが、村上君も熱心だった。」

日影丈吉は、『村上信夫君の貫禄』と題する随筆の中に、そのように記しています。
昭和十年、日影丈吉が二十七歳の時、内幸町に、「料理文化アカデミー」を開いています。その時の生徒に、村上信夫や、小野正吉、あるいは当時、横濱ニュウグランドの料理人、入江茂忠などがいたんだそうですね。
そんなこともあって、晩年になってからも、日影丈吉と一緒に一流レストランに行くと、とくに美味しい料理が頂けたとのことです。
日影丈吉が昭和三十三年に発表した短篇に、『旅愁』があります。これはまるで夢を見せられているような不思議な小説になっているのですが。この中に。

「真白なフェルトのズボンと、桃色のセーターに着替えたハンは、なかなか可愛らしく見えた。」

これは物語の主人公が奇妙な国に旅して一泊させてもらう宿の女主人の様子について。
フェルトのズボンって、あるんですねえ。フェルトの特徴のひとつに、端が解れないことがあります。端の始末をする必要がありません。
どなたか純白のフェルトでスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。