ブラックとスパッツ

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ブラックは、フランスの画家ですよね。ジョルジュ・ブラック。
ブラックは、ピカソと並んで、キュビスムの旗手ともされた人。
1907年に。ジョルジュ・ブラックは「南仏 エスタック」を描いた。この時、立方体を積み重ねたみたいだったので、「キュビスム」の名前が生まれたんだそうですね。
晩年のブラックと親しかったのが、マダム・マサコ。

「ブラック先生のお宅に伺う途は ( 中略 ) ここでよくクレマンティーヌというみかんを一キロ買って、モンスリイ公園まで持って行ったものです。」

マダム・マサコ著『巴里案内』には、そんなふうに出ています。
ジョルジュ・ブラックの自宅兼アトリエは、パルク・モンスリーに近くにあったようです。
アトリエが三階にあって、二階が自室。一階のサロンにはマントルピースがあって、マキが燃えていたという。暖炉の側にはマキを扱うための熊手が五本ほどあって。これもブラックの手作りだったそうです。
このサロンの暖炉の前で、マダム・ブラックはいつも紅茶飲んでいたという。
ジョルジュ・ブラックが世を去るのは、1963年。八十一歳。
1963年に発表されたミステリに、『盤上の敵』が。エラリイ・クイーンの物語。この中に。

「黒いソフト帽と鉄のようなグレイの服、古くさいチョッキと灰色のネクタイ ( そして五月十五日以前ならスパッツを着けている ) 。」

これは、NYの富豪、ロバート・ヨークの着こなし。1960年代のはじめにも、スパッツがあったんですね。そしてスパッツを着ける日にちも決めていたんでしょうか。
それはともかく。スパッツを着けて、ブラックの画集を探しに行くとしましょうか。

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