スワニーとシャツ

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

スワニーは、ガーシュインの名曲ですよね。
作詞は、アーヴィング・シーザー。1919年に作られた曲なんだそうです。
「なにか新しい曲作ろう」とガーシュインに言ったのは、シーザーのほうだった。それはフォスターの『スワニー河』をヒントにしよう、というアイデアだったのです。
ガーシュインとシーザーはレストランで食事しながら、打ち合わせを。その後、ふたりはガーシュインの家に。アムステルダム街110番地にあった家に。ジョージ・ガーシュインはピアノに座って、15分ほどで『スワニー』を仕上げたという。
ちょうどその頃、歌手のアル・ジョンソンがパーティを開いて、ガーシュインたちも招かれた。そのパーティの席上。アル・ジョンソンがガーシュインに、「なにか弾いてくれないか?」。で、弾いたのが生まれたばかりの『スワニー』。
その新曲を聴いたアル・ジョンソンが気に入って、歌うことに。1919年に、アル・ジョンソンが歌って、ヒット。1920年には、ミリオンセラーになっています。
ジョージ・ガーシュインがはじめてロンドン公演に行ったのは、1923年のこと。1923年ですから、船で。船が、英国のサウサンプトンの港に着く。ガーシュインは税関に行って、パスポートを見せる。その時の税関員の言葉。
「あなたが、ガーシュイン! あの有名な『スワニー』の作者の!」
1923年のロンドンでもそれくらい『スワニー』は、流行になっていたのでしょう。
1919年5月1日からはじまる小説に、『メイ・デイ』があります。ただし、発表されたのは、1920年のこと。フィッツジェラルドの短篇。ちょっと泣かせる話なんですが。この中に。

「素材はずっしりと重いシルクで、黄の地に淡いブルーのストライプが入っているーーしかも、おなじものが半ダースもある。」

これは、フィリップ・ディーンのシャツ。「ずっしりと重いシルク」とは、極上の絹の意味です。
昔、イェール大学で同級生だった、フィリップ・ディーンを、ゴードン・ステレットが訪ねる場面。場所は、ビルトモア・ホテルの客室という設定。
極上の絹とは言いませんが。なにかお気に入りのシャツを着て。『スワニー』のレコードを探しに行くとしましょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone