モーツァルトとスペンサー

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モーツァルトの曲には心が洗われますよね。
モーツァルトにはお姉さんがいました。ヴォルフガングよりも、五つ年上。1751年の生まれ。マリーア・アンナ・ヴァルプルガー。でも家のみんなは「ナンネル」と呼んでいたそうですが。
1759年。ナンネルが八歳になった時。お父さんのヨハンはナンネルにクラヴィアの練習をさせることに。ナンネルは音楽の才能があったのドリップしょう。たちまちにしてクラヴィアを弾きこなす。
それを横で聞いていたのが、三歳の、ヴォルフガング。誰に教わるともなく、和音を弾いたそうです。で、本式に稽古をはじめたのが、モーツァルト四歳の時。四歳のモーツァルトはどんな曲でも一度耳にしたなら、すぐにそれを弾くことができた。
ここで忘れてならないのは、お姉さんのナンネル。実はナンネルも天才だったのです。この幼い少年少女はふたりでよく演奏旅行に行ったいます。各地で、拍手喝采。ヴォルフガングはもとよりナンネルも面と向かって褒められる。そんな時たいていナンネルはこう答えたそうです。
「わたしは弟の単なる弟子にしかすぎません。」
ふたりの姉弟は、1762年に。ミュンヘンに行き、ウィーンに行っていますいずれも絶賛につぐ絶賛。
「彼女は驚くばかりの精確さで、難曲を弾きこなす。」
「彼女」とは、ナンネルのこと。当時の新聞記事の一節です。つまりナンネルは天才、ヴォルフガングは大天才だったということなのでしょうか。
モーツァルトの再来と言われたひとりに、プロコフィエフがいます。セルゲイ・プロコフィエフも、幼少の頃から作曲の才能を発揮しています。
プロコフィエフの、『交響曲第六番変ホ短調』の初演が、1947年10月10日。レニングラードで。
1947年、南フランシスに生まれたのが、ジャン・エシュノーズ。ジャン・エシュノーズが2003年に発表した小説に、『ピアノ・ソロ』が。この中に。

「綾織の白いスペンサー、糊のきいた白いシャツ、ウィングカラー、白い蝶ネクタイ……」

これは、とあるレストランでの着こなしなんですが。「スペンサー」テイルのない燕尾服ですね。主に盛夏の正装。
スペンサーで、モーツァルトを聴きに行くのは、夢物語ですが。

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