船旅は、いつの時代にも憧れの的ですよね。海風が頬を撫で、鷗が歌い、客船特有のの匂いに満ちて。
船旅がお好きだったお方に、阿川弘之がいます。とにかく『船旅のおすすめ』の随筆があるくらいですから。ただし『船旅のおすすめ』は、昭和三十年『旅』三月号に発表されたものなのですが。
「私たちが東京へ帰ると間もなく、この航路で「船客扱ひます」の記事を新聞に出さなくなった。」
そんなふうに書いています。いったい何があったのか。
阿川弘之は、大阪港から東京港まで、日本郵船の貨物船の船旅を愉しんだのです。
大阪から東京。これにはいくつもの旅程があります。が、阿川弘之はあくまでも、「船旅」を希望。その時、阿川弘之自身は、広島にいて。日本郵船から親切にも広島の阿川弘之に電話が。
「もし東京までいらっしゃるなら、大阪港で待ったいます」
で、阿川弘之は、急ぎ、大阪港へ。それでも結局は八時間ほど船を待たせてしまった。
まあ、その後、日本郵船でもなにかと考えたらしく、「船客扱ひます」の新聞広告を出さなくなったのだとか。
でも、『船旅のおすすめ』はこれで終わるのではなくて、阿川弘之は、横浜港から神戸港までの船旅をすすめています。氷川丸での。
「おまけに運賃はたいへん安い。三等のAが、大体かつての大連航路あたりの二等船室と同じもので、食堂で四食…………………。」
当時、神戸まで三千円だったと書いています。うーん、惹かれますねえ。
船旅が出てくる小説に、『サテュリコン』があります。紀元60年頃に、ペトロニウスが書いた物語。
「そなたの気持を大切にしてわしらが船甲板の上でもっとも奥まった一角を占領したというのは……………………。」
今も昔も、船旅の場所は重要でしょうね。また、『サテュリコン』には、こんな描写も。
「その腕には黄金の腕輪と、ぴかぴかと光る金箔でつないだ象牙の輪が飾られていた。」
これは富豪の、トルマルキオの様子。
そんなひと財産ほどでなくても。細い、優雅なブレスレットが欲しい。もちろん、船旅のお供にも最適でしょうから。