酢豆腐は、あまりにも有名な落語ですよね。以前、桂 文樂が得意とした噺でもあります。
大坂ではほぼ同じ噺を、『ちりとてちん』と呼んだんだそうですが。
元になった噺は、『軽口太平樂』に出ているそうですから、古い。『軽口太平樂』は、宝暦十三年の刊。西暦の、1763年のこと。
『酢豆腐』はもともと江戸落語。これがのちに大坂に移って、『ちりとてちん』になったらしい。
何にでも通人ぶる若旦那に腐って豆腐を食わせる噺。困った旦那が言うことに、「これは酢豆腐でげすな」。じゃあ、もっとお食べよと言われて、「酢豆腐はひと口に限りやす」。これが、下げになっています。
この落語『酢豆腐』から、半可通の人間を、「酢豆腐」と言ったりもするわけです。
酢豆腐から須藤はちょっと無理があるでしょうが。須藤南翠。須藤南翠は、明治はじめの小説家。本名は、須藤光輝。安政四年、宇和島の生まれ。
須藤南翠は、明治二十一年に、『緑蓑談』を発表しています。『緑蓑談』と書いて、「りょくさだん」と訓ませるんだそうですが。この冒頭に。
「蘇格羅紗の太き袴に紺綾羅紗の朝衣を着し、普通の帽子を冠りたるが………………………」。
明治のことですから、ほとんどルビ付きで。「蘇格」には、「スコッチ」のルビが振ってあります。「袴」には「ズボン」。「朝衣」には「モーニングコート」を添えてあるのですが。
もともとは、「スコッチ・トゥイード」ですから、その後半分を省略して、「スコッチ」。「スコッチ」は、明治語と言って良いでしょう。
スコッチ・トゥイードの前半分を略したのが、「トゥイード」。こちらは昭和語であります。
まあ、「酢豆腐」と言われないうちに、ここらで退散するといたしましょうか。