本田宗一郎は、本田技研の創業者ですよね。本田宗一郎は、いったい何が優れていたのか。
手。本田宗一郎の手はふつうの手ではなかったらしい。
「私の場合なんかでも、右手で、ずっと平面をさすっていると、今でもミクロンの凸凹まで分かるんですよ。ミクロンどころではない、それ以下だって分る自信はありますね。」
本田宗一郎著『やりたいことをやれ』には、そのように書いています。
ミクロンは、1ミリの千分の一で、これはもう、神技に近いのではないでしょうか。でも、人間が本気で、一心に集中してひとつの物に毎日触っていれば、たぶん本田宗一郎に近づけるのでしょう。
本田宗一郎から、鮎を想い浮かべる人も少なくないでしょう。本田宗一郎は毎年、自体に人を招いて、「鮎パーティー」を開いていたので。
当時の本田宗一郎邸には、人工の川が流れていて、ここに天龍川の鮎の稚魚を放流。それで、時期になると、「鮎パーティー」を。
本田宗一郎は毎年、鮎パーティーをやっていて、ひとつ気づいたことが。それは、洪水。天然の川には時に、洪水が。人工の川には洪水がない。これで、微妙に鮎の味が異なってくることに。
「大自然に意味のないものはない。」
そのように悟ったという。
「今年も、また鮎釣りの頃となりましたので拙宅の小川でも鮎の解禁を催すことにいたしました。」
そんな本田宗一郎からの案内をもらったひとりが、團 伊玖磨。
團 伊玖磨の随筆『石神井のキャヴィア・新宿の鮎』に、詳しく出ています。
團 伊玖磨には、また『歯刷毛』の随筆もあります。
「その歯刷毛が上等の物で、狢の毛が使ってあるのだと教えられた。」
これは團 伊玖磨が子どもの頃。おじいちゃんの家に遊びに行って。珍しい歯刷子を見つけたときの様子。團 伊玖磨のおじいちゃんは、團 琢磨。團 琢磨は、明治期に三井の大番頭だった人物。
團 琢磨は、狢の毛の歯刷子を使っていたのでしょう。一般に、歯刷子には豚の毛が佳いとも。豚毛より優れたいるのが、狸の毛。でも、さらに、狢の毛。何事も上には上があるものです。
しかし、私の勝手な想像ですが。この「狢」、もしかすれば、「ハクビシン」の毛ではなかったでしょうか。ハクビシンからも極上の毛が採れたと、聞いたことがあります。
まあ、それはともかく。鮎をたくさん頂いたあとは、好みの歯刷子で、歯を磨きましょう。