食通とジャカード

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食通は食べるのに凝る人のことですよね。つまりは、グルメのことであります。
食通は、作家に多い。どうして作家に食通が多いのか。作家の勝負は書くことで、「食」をも書くので、いかにも食通だと思われてしまうこともあるのでしょう。
そして、もうひとつ。原稿用紙に向って、文を創るのは苦行で。その苦行の間中、頭の中ではひたすら食うことを考えているからではないでしょうか。
作家で、食通だったお方に、立原正秋がいます。立原正秋が特別だったのは、自ら包丁を持つことがあった食通。別の言い方を致しますと。食通にも二種あって。包丁を持つ食通と、包丁を持たない食通。立原正秋は前者だったのですね。
立原正秋が鴨をさばいた話がどこかに出ていました。が、今、探しても出てきませんでしたが。そういえば立原正秋は時期によって鴨を好んだらしい。

やがて鍋が運ばれてきた。だし汁があたたまってくると、最初に骨をたたいて擂身にしたのをいれる。
「どうだい、味は」
「おいしいわ」
「肉もおいしいが、もつもおいしいよ」

立原正秋が、昭和五十三年に発表した『春の鐘』の一節。
これは主人公の、鳴海六平太が、多恵を誘って、長浜の「鳥八」で鴨鍋を食べる場面。
『春の鐘』は、長篇。恋愛小説。でも、その一面、美食小説にもなっています。鳴海はある美術館の館長という設定。美術館の館長は、よほど暇があって、美食に煩い人物が多いのだなあと、思ったしまいます。『春の鐘』の中に。

「男は緑色のネクタイをしめていた。」

これは鳴海がホテルの廊下で、見知らぬ男と擦れ違う場面。
そういえば、立原正秋に、『ネクタイ』と題された掌篇小説があります。昭和三十九年の発表。

「糸子は、細かい紋柄のネクタイを示した。」

「糸子」は、とある百貨店のネクタイ売場の店員という設定。客がネクタイを求めたので、「これなど如何でしょうか」と。
たぶん、ジャカード柄のネクタイだったのでしょう。
ジャカードは、1804年頃、リヨンの、ジャカールによって完成された織機。ジャン・マリイ・ジャカールは、1752年、フランスのリヨンに生まれています。
それ以前の、「空引機」があまりに重労働なので、機械化したもの。空引機とは、織機の上に子供が登って、そこから下に糸を垂らし、操った。
このジャカールの名前を英語訓みにして、「ジャカード」なのです。ジャガードではありません。
なんてことを言ってるようでは、食通にはなれませんね。

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