甲斐絹は、絹織物のひとつですよね。縦横ともに、本練絹を使って平織にするのが、特徴。なによりも光沢の美しい生地。
むかしは羽織裏によく用いられたそうですね。ごく最近までは、座布団の面地とか。あるいは、ディナー・ジャケットの拝絹にも使われることがあったようですね。
甲斐絹は、古い時代からの舶載品。「改機」、「海気」、「海黄」などの文字が宛てられたという。
江戸、寛文時代、つまり1660年代になって、甲斐國、都留郡の織工が、はじめて国産の「海黄」に、成功。
これが明治になって。時の藤村県令が、「甲斐絹」にせよ、と申して。「改機」が、「甲斐絹」に。今なお甲斐絹と書いて「かいき」と訓むのは、そのためであります。
藤村県令は、なんと知恵者であったことか。第一、音が似ている。甲斐の宣伝にも。また、「買い気」にも通じるではありませんか。
知恵者といえば。むかし、夏目漱石の木曜會で、議論沸騰。文學論果てしなく。漱石は漱石で譲らない。弟子は弟子で譲らない。とうとう弟子の赤木 某が。「先生も、最近、箍が緩んできたんでせう。
この赤木 某のひと言で、場が静まった。その時の漱石の一言。
「バカモン! おれは昔から、箍なんぞはめたことないぞ!」
これで、皆、爆笑。これも、知恵者ならではのひとことだったでしょう。
夏目漱石が、明治四十年に発表した小説に、『虞美人草』があります。漱石が「朝日新聞」社員となってはじめての小説。この中に。
「投げた羽織の裏が、とぼしき光線をきらきらとあつめる。裏は鼠の甲斐絹である。」
漱石は「光線」の横に、「ひかり」のルビをふっています。
また、『虞美人草』には、こんな描写も。
「あの鏈についている柘榴石が気に入ってね。」
「柘榴石」の脇には、「ガーネット」と、ルビがふってあります、これは懐中時計の鎖に添えてあるガーネットを指しているのですが。
せめて、ガーネットのカフ・リンクスが欲しいものですね。