オーソドックスとオックスフォード・バッグズ

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オーソドックスは、正統のことですよね。正統とは、真っ当のことでしょう。野球なら、直球。奇をてらわない。
歌舞伎でいうところの「けれん味がない」にも、似ているかも知れません。でも、オーソドックスを説明するのは、難しい。

「何度読んでもおもしろく、読めば読むほどおもしろさのしみ出して来るものは夏目先生の「修善寺日記」と子規の「仰臥漫録」とである。」

寺田寅彦は、『忘備録』と題する随筆の中に、そのように書いています。もちろん、夏目漱石の『修善寺日記』と、正岡子規の『仰臥漫録』とを指しているのです。
『修善寺日記』も、『仰臥漫録』も、明治の日記。この二つには直接の関係はありません。ただ、夏目漱石と正岡子規とが、たまたま親友だっただけのこと。
『修善寺日記』は大病をして、そこから恢復に至る日記。『仰臥漫録』は、結核で寝たきりの日記。たぶん、後に公表されるとは思っていなかったのではないでしょうか。

「朝、ヌク飯三ワン………」

『仰臥漫録』には、そんな記述が多い。奇を衒うも衒わないも、それ以前の問題でしょう。
この『仰臥漫録』と『修善寺日記』とが、寺田寅彦の愛読書だった。とにかく、夏服のポケットにも常に入れておいたというのですから。
誰にとっても何かを書くことは、「背伸び」することです。でも、子規の『仰臥漫録』にはいっさいの「背伸び」がありません。
ということを、寺田寅彦は教えてくれたのです。私にとって、『寺田寅彦随筆』は、「正統の書物」です。何度読んでも飽きることがない点においても。ほんとうに夏服のポケットに入れておきたいくらいのものです。

「街頭を歩いているラッパズボンのボーイらが店頭からもれ出るジャズレコードの音を聞けば………………………」。

寺田寅彦が、昭和五年の九月に発表した『映画時代』の一節に、そのように出ています。
これはおそらく、「オックスフォード・バッグズの日本版だったろうと思われます。
1925年頃。突然に、オックスフォード・バッグズ流行。これはゴルフ用のプラス・フォアーズの上に、通常のトラウザーズを重ねるための、工夫からはじまっているものです。

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