紅絹は、真紅のことですよね。むかし、和服の色によく用いられたもの。ことに女じょ着物の裏地として。
紅絹と書いて、「もみ」。「紅い絹」と書いて「もみ」と訓むのは、分からないでもありません。でも、どうして真紅が「もみ」なのか。
古い時代には、紅花で染めた。この染める過程で、手で揉んだ。それで、「もみ」となったのでしょう。もっとも紅花で染める前、鬱金で下染めした。その鬱金で染めた後に、紅花で。だから、深い味わいの真紅となったのであります。
少なくとも戦前までの男にとっての「紅絹」は、胸がどきどきする悩ましい色だったらしい。着物、裏地、そこから膚を想わせる色であったものと思われます。
それとは別に、江戸期には、「紅絹の布」と言ったものだそうですね。紅絹の絹の布で眼を拭くと、眼の患いに効くと信じられていたらしい。
紅絹が出てくる小説に、『青春』があります。小栗風葉が、明治三十ハ年に、発表した物語。
「はあ。」と繁は燃立つやうな紅絹裏の八口を捌いて袂を探る。」
これは「繁」という女性が、不忍池近くの洋食店で、食事をしている場面。
また、『青春』には、こんな描写も出てきます。
「紺の細綾のモオニングのシックリ能く似合ふ、些つとハイカラアがつた三十ばかりの紳士風の男。」
「細綾」ということは、トゥイルでしょうか、サアジでしょうか。いずれにしても、ブルー・モオニングであるのは間違いないですね。
明治三十ハ年は、1905年のことで。その時代のモオニング・コオトは、今のラウンジ・スーツに似た存在で、ブルーもあればグレイもあったでしょうか。
でも、ブルー・モオニング。いいですね。一度、ブルー・モオニングを仕立ててみましょうか。もちろん、「紅絹裏」で。