米国と別珍

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米国は、アメリカのことですよね。
でも、どうして「米国」がアメリカの意味になるのか。昔は、亞米利加と書いたからなんですね。亞米利加の宛字の最初の文字で表して、「米国」。今でも省略として、「米」の文字を使うことがありますよね。

「………亞米利加合衆國の人民も英人の子孫なり……………………。」

福澤諭吉が、明治八年に書いた『文明論之概略』に、そのように出ています。
また、同じ『文明論之概略』に。

「………米國の我國に通信を開くや、水師提督「ペルリ」をして……………………。」

そうも書いてあります。明治八年のことですから、「米國」のわりあいはやい例ではないでしょうか。
「米軍」が出てくる脚本に、『寺内貫太郎一家』があります。『寺内貫太郎一家』は、
1974年のTVドラマ。名人、向田邦子の脚本。『寺内貫太郎一家』が当時、国民的ドラマとなったことは、いうまでもないでしょう。この中に。

「服装には無頓着でいつもは米軍放出のカーキ色のジャンパーを愛用しているのだが、今日はさすがに黒い背広で改っている。」

これは静江の戀人、「上条」の服装を指しているのですが。
戦後間もなく、日本各地に「アメリカ中古衣料」の看板があったものです。多くはアメリカ軍の放出品だったものです。
戦後の日本で、はじめてブルー・ジーンズを扱ったのは、この「アメリカ中古衣料品店」だったのです。もちろん私も足繁く通ったものであります。いや、ジーンズだけでなく、運さえよければトレンチ・コートなども拝見することができました。その頃の私にとって宝の山だったことは間違いありません。
向田邦子が、1980年に発表した小説に、『あ・うん』があります。この中に。

「灯を節約した暗い廊下を、別珍の臙脂の足袋が走った。」

これは、「たみ」が履いている足袋のこと。自宅にいるわけですから、普段着という設定なのでしょう。向田邦子はあれこれ説明しないで、「別珍の臙脂の足袋」で、そのあたりの空気を伝えようとしたのに違いありません。
「別珍」は、ヴェルヴェッティーン v elv et e en の宛字。「ヴェルヴェッティーン」
の英語は、1776年頃から用いられているらしい。綿ビロードのこと。コットン・ヴェルヴェットのこと。

「………むかし素足の自慢だった奴が天鵞絨の別珍足袋を穿いてゐます。」

久保田万太郎が、大正十四年に発表した『寂しければ』にも、そのように出ています。
久保田万太郎の文才を発見したのは、夏目漱石だったとの説があるようです。
明治四十四年に、久保田万太郎ははじめての小説『朝顔』を、『三田文學』に発表。これを漱石が読んで、評価。それで、小宮豊隆に。小宮豊隆が『朝顔』を褒めて、久保田万太郎は世に出ることになってという。

別珍はなにも足袋だけではありません。
「臙脂色の」別珍で、身体にフィットしたチョッキを仕立てて頂けませんでしょうか。

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