プリンスは、王子のことですよね。キングとクゥイーンとのご子息が、プリンス。
この場合もし姫なら、プリンセスであります。
王家はだいたい世襲制ですから、プリンスはやがてキングになる可能性があります。ことにご長男が。これをふつう「クラウン・プリンス」と呼ぶんだそうですね。
日本ですと、「皇太子」であります。日本の歴代、皇太子にも多くのお方がいらっしゃいますが。ここでは、後の昭和天皇が「皇太子」であらせられた時代の話をいたしましょう。
昭和天皇は晩年、もっとも愉しかったことのひとつに、「英國遊学」をお挙げになっています。
大正十年三月三日に、ご出発なさっています。皇太子、十九歳の御年のことでありました。
もちろん、船で。先導が、「鹿島」。お召艦が、「香取」。「香取」の海図室を特別に改装して、ご座所にしたと伝えられています。
この時、皇太子は大正天皇ならびに皇后陛下に、お別れの挨拶をなさっているのですね。どのようにして。
「艦隊は東京湾口を出て針路を右転し葉山沖に向かい、漸時速力を減じ、午後三時、葉山御用邸より西方約三浬の洋上に達する。」
『昭和天皇実録』には、そのように出ています。
つまり艦上から、ご挨拶なさった。大正天皇、皇后は、葉山御用邸のお庭にお出になって。
「香取」が英國に着いたのは、大正十年五月九日、月曜日のことでありました。ポーツマス港に着岸。
大正十年は、西暦の1921年に外ならないのですが。
1921年5月9日。英國王室を代表して、皇太子をお出迎えになったのが、プリンス・オブ・ウエールズでありました。プリンス・オブ・ウエールズは前の日、倫敦を発って、ポーツマスにお着きになっていたのです。
この時のプリンス・オブ・ウエールズが、後のウインザー公爵であるのは、いうまでもないでしょう。
プリンス・オブ・ウエールズと、皇太子のお年の違い、五歳。おそらく話も進んだことでありましょう。公式記録には、「御歓談ありて………」と出ているのですが。
皇太子はもちろんスコットランドにも、ご訪問。大歓迎を受けています。
「広場においては、ブラック・ウォッチと称するスコティッシュ・ハイランダーズ第四十二聨隊の軍旗を棒持した約百名の儀仗隊の敬礼……………………。」
そのように記録されています。
この時、皇太子は明らかに、「ブラック・ウォッチ」のキルト姿をご覧になっているわけです。
古くは、「第四十二連隊」。後に、「ロイヤル・ハイランド・レジメント」となったもの。そのための制服の柄が、「ブラック・ウォッチ」なのです。
もともとは、1729年に設立された、国境警備隊にはじまったものであります。
どなたかブラック・ウォッチのトラウザーズを仕立てて頂けませんでしょうか。