みかんは、美味しいものですよね。いくらでも食べられてしまいます。
みかんが健康に良いのは、ほんとうでしょうね。だって漢方薬の「陳皮」はもとを正せば、
みかんの皮なんですから。
🎶 みかんの花が 咲いている……………………。
童謡の『みかんの花咲く丘』の歌い出し。たしか、川田正子という歌手が歌っていたような記憶があるのですが。
そういえば、『千両蜜柑』。ご存じ古典落語。私は五代目古今亭志ん生の『千両蜜柑』が大好きです。
とある大家の若旦那が病に。時は、八月。いよいよ医者も匙を投げ出して。
「本人の好きなものを食べさしてやって………」
番頭が若旦那に訊くと。
「蜜柑が食べたい………」。
それで番頭、江戸中を蜜柑探しに。今なら一年中みかんもあるでしょうが。江戸末期の話ですからね。
「多町」に一軒果物屋があって。蜜柑を大事に保存。番頭がおいくら?と訊ねると。
「千両!」
それで『千両蜜柑』の題目になっているのでしょう。
江戸ではなくて、巴里でみかんを買う話。
「昔はこの時分はミカンの出盛りだつたが、今ではミカンの姿は見かけないので、果物専門店でそのわけを聞いてみると……………………。」
福島慶子が、昭和二十九年に書いた、『ヴァンは酒ならず』にそのように出ています。
福島慶子のご主人は、「福島コレクション」で知られる富豪、蒐集家の福島繁太郎。
大正九年から昭和八年まで巴里に住んでいたお方。巴里にはお詳しいはず。
果物専門店の話では。「もっと先になると、ミカンが並びますよ」とのこと。
昭和二十九年に、福島繁太郎ご夫妻と同行したのが、堤 邦子。堤 清二のひとつ違いの妹であります。
1950年代、西武百貨店がパリ情報に詳しかったのは、主に堤 邦子のおかげであったようですね。
当時すでに、「エルメス」と契約していましたから。イヴ・サンローランについても、堤 邦子の仲介があったらしい。
堤 清二と交流があった作家のひとりに、三島由紀夫が。堤 清二のもうひとつの顔は、
辻井 喬。作家。その時代の文人たちとつきあいがあったのも、当時でしょう。
ある時、三島由紀夫から、堤 清二に電話が。
「そちらに、五十嵐九十九という人物はいるでしょうか?」。
三島由紀夫は自分なりに調べて。フランスのドゴールが着ている服は、五十嵐九十九の作である、と。ぜひ、その五十嵐九十九に服を仕立てて頂きたい。
そんな内容の電話だったという。
この話は、『わが記憶、わが記録』に出ていることなのですが。副題は、「堤清二・辻井喬
オーラルヒストリー」になっています。堤 清二語り下ろしの一冊。
服は人間の唯一の「包装紙」で。哀しいことに人間はその自分の「包装紙」に大きく影響される。
良くも悪くも三島由紀夫は、その真理を識っていたのでしょう。
人は服によって創られる。これまた、事実であります。