おとぎ噺は、民話のことですよね。まあ、そんなに簡単にいえるものでもないでしょうが。
西洋にメルヘンがあるように、またフェアリイ・テールがあるように、日本にはおとぎ噺があります。
🎶 むかしむかし 浦島は 助けた亀につれられて……………。
歌にも歌われた『浦島太郎』の物語ももとをただせば、「おとぎ噺」のひとつだったのでしょう。
おとぎ噺などを専門とする人たちを、「おとぎ衆」と言ったんだそうですね。たとえば、
豊臣秀吉には八百人からの「おとぎ衆」がいたんだそうですね。もっともTVもラジオもない時代ですから、秀吉にとっては「おとぎ衆」から聞く話がなによりの娯楽だったのでしょう。
たとえば頓智で知られる曽呂利新左衛門。曽呂利新左衛門もまた秀吉の「おとぎ衆」のひとりだったとの説があります。このように考えてみますと、「おとぎ噺」の歴史も古いものがあるのでしょうね。
「おとぎ噺」は嘘か真かはさておき、愉しみのための罪のない話というところに特徴があります。そんなわけで、現代でも「おとぎ噺」は用いられる表現です。
「葉子がさういふ人達をかたみがはりに抱いたりかかへたりして、お伽話などして聞かせてゐる様子は、船中の見ものだつた。」
大正八年に、有島武郎が発表した『或る女』の中にも、そのような一節が出てきます。
ここでの「さういふ人達」とは、船客の子どもたち。その中には。
「……………水兵服で身輕に装つた少年達」
も含まれていたのですが。子どもにとって、大人から「おとぎ噺」を聞かせてもらうのは、なによりの娯楽なのでしょう。
おとぎ噺の古さと負けず劣らずの日本文化に、「扇」があります。
扇と書いて、「おうぎ」と訓みます。これはもともと「扇ぐ」から出た言葉。古代の日本語では、「あふぐ」という動詞だった。この動詞の「あふぐ」が名詞になって、「あふぎ」。
「あふぎ」から後の時代に、「おうぎ」、「扇」」となったものです。
「…………扇子三百本、國々ノ奉送使ヲ副テ、高麗へゾ送り被著ケル。」
『太平記』の一節に、そのような文章が出てきます。『太平記』は十四世紀の成立だと考えられている古書。
これはある時「高麗人」がやって来たので、日本の土産を持たせて帰らせた、との記述に出てきます。
扇ではなく「扇子」の比較的早い例かと思われます。
また、当時の「高麗」には扇子が無かったことも想像させる内容になっているでしょう。
「扇子」より古い言葉が、「扇」。
扇の骨は、
朴。
色は、
赤き、紫、緑。
檜扇は、
無文。
唐絵。
清少納言の『枕草子』には、そのように書いてあります。
「檜扇」は、読んで字のごとく、檜の板を薄く削って、重ねた扇のこと。当時はより装飾性の高い扇とされたものです。
それはともかく、清少納言は「扇」と訓み、「扇」と書いたのでしょうね。
「……………惟光に紙燭召して、ありつる扇御覧ずれば、もてならしたる移香、いと染み深うなつかしくて、をかしうすさび書きたり。」
紫式部の『源氏物語』にも、そのような文章が出てきます。
『源氏物語』の時代の扇は、教養の一端でもあって。薫りを焚きしめたり、歌の一節を書いたりもしたのでしょうね。
扇は開くことができます。閉じることもできます。携帯用送風器。これ発明したのは、日本であります。
今、ファンやエヴァンタイユは世界中にあることでしょう。でも、もともとの発祥は日本なのです。
日本では俗に「末広」とも呼んで、吉兆だと考えられています。
そんなわけで、「扇面散らし」の柄もあるわけですね。なにも着物の柄とは限らず、広く器などにも用いられること、ご存じの通りです。
どなたかスーツにもふさわしい扇を作って頂けませんでしょうか。