フルートは、木管楽器のひとつですよね。
横笛であります。古代エジプトにも、フルートらしき横笛があったそうですから、古い。それはおそらく葦の茎に穴を開けたものであったでしょう。
長さにして約100㎝。「マート」の名前で呼ばれたらしい。
1866年にマネが描いた絵に、『笛吹く少年』があるのはよく知られているところでしょう。「少年」は黒い横笛を手にして、吹いています。これもまた、フルートでありましょう。
「現在のフルートは、完璧ともいえる魅惑的でなめらかな音を発する。これ以上改良する必要はないだろう。」
フランスの作曲家、エクトル・ベルリオーズは、そんなふうに語っています。
「………一少年の緑陰に坐し、ふりゆとを弄せる其声嚠喨として妙なりしが……………………。」
幸田露伴が、明治二十二年に発表した『露団々』に、そんな文章が出てきます。
文中の「ふりゆと」は、フルートのことかと思われるのですが。もし、そうだとするなら、
小説にあらわれた、かなり早い「フルート」の例でしょう。
「弦もフリュートも何かを見出そうとして胸部をも切り裂こうとする。」
昭和三十年に、堀田善衛が書いた長篇『記念碑』にも、フルートが出てきます。ただし、
堀田善衛は、「フリュート」と書いているすが。
堀田善衛は、昭和二十年の七月には、上海に居て。
「昨朝、武田さんにN、私の三人でジェスフィールド公園近くのマンジュウ屋でマンジュウの朝飯。三人で十二たべて一万二千ドルだ。これはとてもやすい。」
8月6日の『上海日記』にそのように書いています。同じ日の日記に。
「ドストエフスキーの『白痴』が読みたい」。そんな意味のことをも綴っているのですが。
フルートが出てくるロシアの小説に、『ロスチャイルドのバイオリン』があります。
1894年に、チェホフが発表した短篇。
「彼の弓の下からは、昔フルートを吹いていた時と同じ哀れっぽい音が流れ出たが……………………。」
これは、「ヤーコフ」という人物の演奏について。
チェホフが、1892年に書いた短篇に、『妻』があって。この中に。
「妻は薔薇色のフランネルの部屋着を着ていて、それが彼女をひどく若く見せ……………………。」
1890年代のロシアに、フランネルの部屋着が珍しくはなかったのでしょう。
少なくとも十九世紀までのフランネルは、主に紡毛の、重厚なものが多かったようですね。
だからこそ、軽量の「フラネレット」などが生まれたのでしょう。また、時と場合によっては、ウール・フランネルに対する、コットン・フランネルなども。
フランネルの最大の特徴は、「縮絨」にあります。一度織り上げて、生地の密度を倍くらいに上げるのです。高密度のウール地。それが、もともとのフランネルだったのであります。
どなたか厚手のフランネルで、インヴァーネス を仕立てて頂けませんでしょうか。