モンゴルとモアレ

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モンゴルは、国の名前ですよね。
昔は多く、「蒙古」。今はたいてい「モンゴル」と呼ぶことが一般でしょう。
モンゴルから生まれたもののひとつに、「カルピス」があります。
今の「カルピス」が生まれたのは、1919年7月7日のことなんだそうです。
三島海雲によって。三島海雲は号名みたいですが、本名。
1904年に三島海雲は、モンゴルへ。二十六歳の時に。どう三島海雲は明治三十七年に蒙古に渡ったのか。馬を買うために。蒙古の馬は優秀だと聞いていたので。
三島海雲が蒙古で気づいたことのひとつに、馬もさることながら、人も優れている。健康で、頑丈。これは、なにかわけがあるのではと、思った。
三島海雲がいろいろと考えた挙句、「ジョウヒ」だろうとの結論に。「ジョウヒ」は当時の蒙古の言葉で、乳酸菌食料。まあ、現在の言葉ならヨーグルトが近いでしょうか。
原料は牛乳で、これを発酵させて仕上げる。その頃の蒙古では貴族階級の食料だったという。
三島海雲はこの「ジョウヒ」をヒントに日本で販売したいと考えて。その試行錯誤の末に、
今日の「カルピス」が生まれたんだそうですね。

モンゴルが出てくる紀行文に、『日本秋景』があります。1889年に、フランスの、
ピエール・ロティが発表した文章。

「その一行のなす、長衣を着け、モンゴル風の髭を生やした堂々たる一団の中に……………………。」

ピエール・ロティは、そのように描写しています。
明治十九年十一月三日。鹿鳴館の宴の様子の中に。この日は「天長節」で、それを祝って舞踏会があったのです。もちろん、ピエール・ロティも招かれて、参加しています。

「金の金網につくり物のブドウの木を這わせ、そこに見事なブドウの実を吊るしている。」

デザートの葡萄のあしらい方について、ピエール・ロティはそのように観察しているのですが。

ピエール・ロティはまた、「西本願寺」をも訪ねています。その時の様子を『日本秋景』に、このように書いてあります。

「このカーテンの地は透ける部分を使ってモワレのようなデザインを成しており、とてつもなく大きな紅絹の房で天井から吊るされている。」

ピエール・ロティは、日本の簾を「カーテン」と表現しているのですが。
ここに、「モアレ」m o ir e が出てきます。「モアレ」は絹の加工織物。一度織った後で、生地の上から圧力をかけて、「波目模様」を浮かびあがらせた生地のこと。「木目模様」と呼ばれることもあります。
張りがあって上品な生地なので、女性のイヴニング・ドレスなどにも、多く用いられます。
また、時としてはハット ・バンドやウィーパーにも。「ウィーパー」w e ep er は喪章のことです。
どなたか黒のモアレでスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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