タクシーは、便利な乗物ですよね。どこからでも乗れて、好きな所で降ろしてもらえますから。駐車場の心配をする必要がありません。
今はタクシー。戦前は「タキシ」ということが多かったようですが。
戦前といえば、「円タク」。当時の東京市内なら、どこまで走っても、一円。それで、「円タク」。この一円乗り放題の時代が終ってからも「円タク」と呼ぶ人が少なくなかったらしい。
日本での「円タク」のはじまりは、大阪で。大正十二年のことだったそうです。これを見学に行ったのが、東京の小瀧辰雄。「これなら東京でも出来る」と考えて、はじめたと、伝えられています。大正十五年のことです。
では、東京での「円タク」はどうなったのか。大いに流行って。東京のタクシーは皆、「円タク」になってしまったという。
大正時代の一円は、今なら千円くらいでしょうか。東京をどこまで行っても千円。夢みたいな話ではありますが。
タクシーが出てくる小説に、『日はまた昇る』があります。ヘミングウェイが、1926年に発表した物語。
「タクシーが止まり、私はおりて料金を払った。ブレットは帽子をかぶりながら出てきて、私に手を預けて地面におり立った。」
これは、巴里の街でのタクシーとして。1920年代のはじめ、ドルが強く、フランが安い時代。さぞかしアメリカ人は裕かだったに違いありません。
『日はまた昇る』には、巴里からバイヨンヌに旅する場面も出てきます。
「運転手は白いダスターコートを着ていて、その襟と袖口だけが青い。」
そんな描写も出てきます。バイヨンヌでのタクシーに乗って。
ここでの「ダスターコート」は、「ダスター」duster のことかと思われます。ダスターコートは和製英語。
ダスターは十九世紀の自動車の「埃除け」に端を発しているものです。初期の自動車は無蓋だったので。自動車に乗るには必ず、ダスターが必要だったので。
どなたか十九世紀のダスターを再現して頂けませんでしょうか。