ヘンリーとヘリンボーン

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ヘンリーは、男の子の名前によくありますよね。アメリカの作家でヘンリーといえば、ヘンリー・ミラーでしょうか。
ヘンリー・ミラーは、1891年12月26日に、ニュウヨークに生まれています。
代表作は1934年に発表された『北回帰線』でしょうか。ヘンリー・ミラーの『北回帰線』は、フランスの巴里で執筆された小説。
ヘンリー・ミラーは、1928年にも巴里を旅しています。が、1930年からは巴里に住んでもいるのです。
1930年代の、ヘンリー・ミラーの巴里での生活はどんなふうだったのか。
たとえば『クリシーの静かな日々』を読むと、その生活ぶりが伝わってきます。

「天気がどうであろうと、わたしは日がな一日、そこの店先や店の奥に腰をおろして過ごしたものだ。」

「そこ」とは、クリシー広場の一角にあった「カフェ・ヴェプレール」を指しています。
ヘンリー・ミラーは、カフェ・ヴェプレールの常連客だったことは間違いないでしょう。
巴里で、ヘンリー・ミラーが親しくなった人物に、「ブラッサイ」がいます。当時の巴里で活躍した写真家のブラッサイと。
ブラッサイは1931年頃、ヘンリー・ミラーの肖像写真をも写しています。

「ライヒェルに、素敵な水兵のコートとスーツを送った。」

ミラーはブラッサイに宛てて、そんな内容の手紙を書いています。1948年4月4日の日付になっているのですが。
「ライヒェル」は、ミラーとブラッサイの共通の友人。

1931年頃に、ブラッサイが写した自画像があります。巴里のサン=ジャック大通りに立つブラッサイを。大型カメラのファインダーを覗いている横顔。
この時のブラッサイはごく厚手の外套を羽織っています。その柄は、ヘリンボーン。杉綾。フランスなら「シェヴロン」。
もう少し細かく申しますと、「シャドウ・ヘリンボーン」。織柄による表現としての。
どなたかヘリンボーンの外套を仕立てて頂けませんでしょうか。

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