ジェノヴァは、イタリアの地名ですよね。イタリア、リグーリア州の港町であります。
Jenova と書いて、「ジェノヴァ」と訓みますね。これが英語だと、「ジェノア」になるんだそうですが。
ジェノヴァに伝わる昔話に、『何ごとも金しだい』があるとのこと。これはイタリアの作家、イタロ・カルヴィンが集めた民話のひとつなのですが。
昔むかしジェノヴァに、ひとりの貴公子がおりましたとさ。その貴公子はあまりに立派な屋敷を建てたために、王様がお怒りになった。
「三日以内にわが姫と話ができたなら、命だけは許す。」と。
そうは言っても姫は城の中で厳重に見守られています。
姫君に近づくことはできません。
その時、貴公子の乳母が名案を。乳母はすぐに彫金師のところに言って。銀製の大きな鵞鳥を作ってもらって。その銀の鵞鳥の中に貴公子を入れて。中でヴァイオリンを弾かせることに。
このヴァイオリンを奏でる銀の鵞鳥はすぐに町中の話題になって。
「わらわも銀の鵞鳥を聴いてみたい」
こうして銀の鵞鳥は城の中に運び込まれることに。
そして貴公子は見事、姫君と話をすることができました。
これを見た王様は、貴公子の頭の良さに感心して、姫と結婚させることになったとさ。
ジェノヴァは古い時代からの貿易港でもありまして。
新しい文化が出入りする場所でもあったのでしょう。
ジェノヴァにはじまり、やがてイタリア中に広められたものも少なくありません。たとえば、「ラヴィオリ」。あの平たいラヴィオリは、ジェノヴァに生まれたパスタだと考えられています。
また、「フィデリーニ」も、ジェノヴァ生まれなんだそうですね。
パスタ。パスタはアルデンテが美味しいということになっています。でも、中世の頃までは「アルデンテ」のは発想はなかったらしい。あくまでもよく茹でられた麺に人気があったそうです。
「アルデンテ」の流行は、十八世紀のナポリではじまったとのこと。
この十八世紀のナポリではじまった「アルデンテ」の流行は、その後、北上して。十九世紀にはミラノでも「アルデンテ」を愛でる風潮があったという。
「ゼノアの町は海岸から、かなり高い山の上まで築かれてあるので、海岸に直角をした町は多く坂道である。」
明治四十三年に、ジェノヴァを旅した画家、三宅克己はそのように書いてあります。三宅克己の紀行文『伊太利旅行』の中に。
三宅克己はフランスのマルセイユから列車でイタリアのジェノヴァを目指しています。三宅克己は「ゼノア」と書いているのですが。
10月19日の夜、12時45分のマルセイユ発の列車に乗って。
「街の音楽師がしきりにアコーディオンをひいている。この上手さも、イタリアならではと足をとどめる。」
昭和二十三年に、ジェノヴァを旅した画家の、荻須高徳は、『ゼノア』と題する随筆の中に、そのように書いてあります。
ジェノヴァが出てくる随筆に、『カテリーナの旅支度』があります。作家の内田洋子が、2013年に発表した物語。
「ジェノヴァは海岸線に沿った細長い町である。」
また、『カテリーナの旅支度』には、トリノでの話も出てくるのですが。
「そうねぇ、やはり来年もダッフルじゃないかしら、」
これはとうに七十を過ぎたおしゃれ好きのマダムの科白として。そのマダムは上から下まですべてを白でまとめた着こなしだったという。
「ダッフル」。イタリアなら、「ジャッコーネ」gaccone でしょうか。
「ジャッカ」が「上着」ですから、そう遠い言葉でもありません。
どなたか純白のジャッコーネを作って頂けませんでしょうか。