ティケット・ポケット(ticket pocket)

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アンバランスの美学

ティケット・ポケットは本来、切符の入れておくためのポケットである。ふつう上着の脇ポケットの付けられる、やや小型のフラップ・ポケットを指す。アメリカでの「チェンジ・ポケット」 change pocket と同様のものである。
日本では昔、「切符がくし」と呼んだものだ。ポケットの言葉が一般化する前、多く「かくし」と言ったからだ。たとえば、ウォッチ・なら「時計がくし」いった具合に。

「黒の帽子を眉深に冠り左の手を隠袋 ( かくし ) へ差入れ……」

二葉亭四迷著『浮雲』 ( 明治二十二年発表 ) の冒頭に出てくる一文。一分の隙もない西洋服姿の描写。かれは黒ラシャのフロック・コートを着ている。そのポケットに手を入れている。が、「隠袋」と書いて「かくし」とルビを振っているのだ。
これはなにも特別な例ではなくて、明治期には「かくし」がごく一般的表現であった。今のティケット・ポケットを「切符がくし」と呼んだのも当然であろう。

「チケット・ポケットは切符を入れるためのポケットで、男子背広の左見頃から見返しにかけて作られた小さな揉玉縁のポケットのこと。」

服装文化協会編『服装大百科事典』には、そのように説明されている。つまりここでの「チケット・ポケット」は、上着の内側に用意されたポケットのことなのだ。日本でのティケット・ポケットの変遷として考えるなら、昔内側にあったものがやがて表にあらわれるようになった。そうも言えるのかも知れない。
「ティケット・ポケット」の比較的はやい例としては、木村慶市著『洋装百科辭典』 ( 昭和二十四年刊 ) がある。ここでは、

ティケット・ポケット 切符がくし

と書かれている。上着の内側であるのか、外側であるのかは定かではない。ひとつの想像として、「切符がくし」から「ティケット・ポケット」へと変化したように、内側から表へと移ったものと思われる。

「ティケット・ポケットがある種のオーヴァーコート上にあらわれるのは、1859年のことである。」

C・ウイレット・カニントン、フィリス・カニントン 共著『英国衣裳辞典』には、そのように出ている。
初期のティケット・ポケットは上着ではなく、外套であった、「ある種の」とは、旅行用外套を指してのことである。鉄道での旅だからこその、ティケット・ポケットであった。そして多くは左袖口に付けられた。もちろん右手で切符を出し入れするのに便利だったからである。
1870年代には、インヴァーネスの袖口にティケット・ポケットが付くようになる。当時のインヴァーネスは主に旅行用であり、袖付きインヴァーネスがあったからだ。その後、アルスターにも、ティケット・ポケットが付くようになったという。アルスターもまた旅用の外套と考えられていたからである。
ところで英国での鉄道切符は、いつはじまっているのか。それは1837年のことであったと記録されている。「ニュー・カッスル&カーライル鉄道」の、トーマス・エドモンドソンが考案したとのこと。それは厚紙製で、日付と通し番号とが記入されていた。

「一人当りの運賃は一等四人乗り客車は六シリング、同六人乗り客車は五シリング ( 中略 ) 当時の物価と比較して、これは相当高い運賃である。」

小池 滋著『英国鉄道物語』の一節である。つまり十九世紀の鉄道旅行は、富裕層にふさわしい旅だったのだ。鉄道切符を持っていることは、ステイタス・シンボルでもあった。そのこととティケット・ポケットは、無関係ではなかっただろう。
ティケット・ポケットが今のようにラウンジ・ジャケット上にあらわれるのは、1890年代のことである。今からざっと百三十年前のことであろうか。

「ティケット・ポケットは通常、脇ポケットの三分の二の大きさで仕上げられることになっている。仮にポケットを斜めに配した場合、ウエスト・ラインをより細く見せる効果もある。」

ハーディ・エイミス著『ファッションのABC』にはそのように出ている。ティケット・ポケットにも、不用の用があるということなのであろう。

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