マーラーとフラノ

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マーラーといえば、グスタフ・マーラーでしょうね。
マーラーを日本に紹介したのは、近衛秀麿なんだそうです。昭和三年にマーラーの『交響曲第一番』を演奏しているんだとか。
昭和五年には、世界初のマーラーの録音を。それは『交響曲第四番』だったという。近衛秀麿は大正十二年に、ベルリン留学。このときエーリッヒ・クライバーの教えを受けています。たぶんこの時代に、すでにマーラーを聴いていたのでしょう。
マーラーの交響曲には第九番目までがあります。第十番目は、未完。ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』で使われたのが、『交響曲第四番』であるのは、よく知られているところでしょう。
1910年3月に完成したのが、『交響曲第九番』。でも、マーラーは1911年に世を去っています。そんなこともあって、『交響曲第九番』の初演は、1912年6月26日のこと。ブルーノ・ワルター指揮で。
グスタフ・マーラーと親交もあり、またその音楽が好きだったのが、トーマス・マン。マン自身の経験をヒントに、マーラーにことよせて書いたのが、『ヴェニスに死す』なんですね。
1913年の、スイス、ダヴォスを背景に仕上げたのが、『魔の山』。この中に。

「青い上衣に象牙色のフランネルのズボンという軽装であったが……」

これはヨーアヒム・チームセンという青年の着こなし。「象牙色」は、アイヴォリー・ホワイトでしょうか。
象牙色のフラノで。マーラーを聴きに行きたいものですね。

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