シャリアピンで、美味くて、といえば、シャリアピン・ステーキでしょうか。
シャリアピン・ステーキは昭和十一年、帝国ホテルで生まれたという説があります。ちょうどその時、フィヨードル・シャリアピンが帝国ホテルに泊まっていて。「柔らかステーキが食べたい……」と。それに応えてお出ししたのが、今のシャリアピン・ステーキなんだそうです。
シャリアピンが結婚したのは、1898年の夏のこと。モスクワの北、プチャーチノの別荘地で。ここにはあらゆる音楽関係者が余暇を愉しんでいた。その中に、トルナーギが。トルナーギはイタリアのバレリーナ。
シャリアピンはトルナーギにプロポーズして、結婚。結婚の次の朝。六時半。新郎新婦は巨大な音に起こされる。窓を開けてみると、劇団員が揃って、合奏。この時シャリアピンは、「地獄のコーラス!」と叫んだそうです。
これは、「さあ、みんなで森にきのこを採りに行きましょう」という誘いの合奏だったのです。この合奏の指揮をしていたのが、ラフマニノフ。ラフマニノフとシャリアピンは同い年で。シャリアピンはラフマニノフから、多くを学んだと、言っています。
セルゲイ・ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第四番ト短調』が、フィラデルフィアで演奏されたのが、1927年。
1927年のシンシナティを舞台にはじまりミステリが、『ジャズ・バード』。クレイグ・ホールデンが、2002年に発表した物語。この中に。
「ゴールドの時計用鎖がついた上等な仕立てのツイード・スーツを身に着け、頭にしっかりとホンブルグ帽をかぶった男を連れてきた。」
これは弁護士の、カール・エルンストんの着こなし。
さて、なにかトゥイードを着て。シャリアピンを食べに行くとしましょうか。