鮨とスーツ

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鮨が大好物という人、少なくないんでしょうね。
鮨の字もいろいろで。寿司とも書けば、鮓とも書きます。もともとは、「酢し」なんでしょうか。
鮨は大きく分けて、「早ずし」と「なれずし」とがあるようです。握り鮨はいわゆる「江戸前」で、早ずしのひとつということになります。
鮨は鮨でもちらし寿司の話。ちらし寿司が大好物だったお方に、西園寺公望がいるんだったそうですね。西園寺公望は、明治の元勲、公爵。昭和天皇の相談役でもあった人物。
昭和のはじめ、西園寺公望は大病に。毎日の新聞に病状が発表される。主治医の先生は、勝沼精蔵博士。さて、西園寺公望、いよいよとなって。勝沼博士、「なんでも、お好きなものをお召し上がりになりますように………」。で、ご本人に伺うと。
「吉野のちらし寿司が食べたい………」。
「吉野」は大阪、船場にある名代の鮨屋。それではというので、「吉野のちらし寿司」を取り寄せることに。その時に注文したのがやはり大阪の「灘萬」。「灘萬」は、高級料理店。「灘萬」はすぐに「吉野」に話して、ちらし寿司をお作りする。作ったちらし寿司を当時の特急に乗せて、興津にお届けする。
側近の者たちは、「ちらし寿司を」とはおっしゃっても、ただ眺めるだけだろうと内心思っていた。ところが西園寺公、ぜんぶ召しあがった。そして。
「明日も、ちらし寿司が食べたい………」。
それでまた「灘萬」に連絡があって、特急に載せる。西園寺公、ちらし寿司をお食べになる。こんなことが何日か続きまして、西園寺公望はすっかりお元気に。
これは楠本憲吉著『たべもの咄』に出ているのですが。楠本憲吉は、俳人。その一方で「灘萬」のご子息でもあったお方なんですね。
まあ、人間、好きなものを好きなように食べるのがいちばんかも知れませんね。
鮨を食べたことのあるイギリス人に、フリーマントルがいます。ブライアン・フリーマントル。今や「鮨」も世界的であります。フリーマントルが、1974年に発表した物語に、『収容所から出された男』があります。この中に。

「彼のスーツは芸術学問の分野に関わる男にふさわしいはなやかさの一歩手前まで近づきながらも、批判されたり、物笑いになるスタイルとは一線を画していた。」

これは物語の主人公、ヨーゼフ・ブルトヴァから見ての、フォン・シドン伯爵の着こなし。うーん。スーツも難しいものですね。
まあ、鮨もそうですが、一見単純に思えるものほど、奥が深いんでしょうが。

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