タッタ-ソール・チェック(tattersall check)

Tattersall
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洒脱な格子柄

タッターソール・チェックはいかにもイギリス的な格子柄である。たいていはオフ・ホワイトの地に赤や青などの二色で彩る二重格子のこと。
「タッターソール」であるのか、「タタソール」であるのか、それとも「タタサル」なのか、難しい。各人各様、正しいと信じる発音をなさるが良い。

昔、ロンドンに「タッターソール馬市場」があったことは間違いない。いや、今も英国で「タッターソール」といえば馬券などに関する大企業である。が、そもそものはじまりは、「タッターソール馬市場」なのだ。
リチャード・タッターソール(1724~1795年)が、1766年に開いたので、その名前がある。今からざっと二百四十年ほど前のこと。リチャード・タッターソールは有名な馬の目利きだった。それはほとんど天才的でさえあった。
馬市場を開く前は、馬好きのキングストン公の馬丁であった。これは今の時代でいえば、車の蒐集家が専用のメカニックを雇うのに似ていただろう。

その後、1766年になって、ハイド・パーク・コーナーに馬市場を作る。ここで馬を競って、売買したわけだ。その時、リチャード・タッターソールは四十二歳になっていた。親しい者たちは、「オールド・タット」の名で呼んだものである。彼を「オールド・タット」と呼んだひとりに、英国皇太子(後のジョージ四世)がいた。皇太子はしばしばオールド・タットのもとを訪ねては、馬談義にふけったという。もちろんオールド・タットの助言により馬を買ったりもした。

この初代のリチャード・タッターソールの後を継いだのが、息子のエドマンド・タッターソール(1758~1810年)である。このエドマンド・タッターソールの時代には、フランスに支店をも出している。
そしてさらにエドマンドの後継者となったのが、彼の長男、リチャード・タッターソール(1785~1859年)。このリチャードのさらに後を、同名異人の、リチャード・タッターソール(1812~1870年)が継ぐ。そしてこのリチャードの後を、エドマンド・タッターソール(1816~1898年)が継ぐ。おそらくはこのエドマンド・タッターソールの時代に、タッターソール格子柄がはじまっているのであろう。それはタッターソール家のホース・ブランケットの柄として。

馬が走る時は、鞍と騎手だけ。しかし馬を静かに歩かせる時には、馬用毛布を掛けたりする。これがホース・ブランケットなのだ。そのタッターソール家のホース・ブランケットの柄が二重格子であった。ということは現在のタッターソールよりもかなり大きな格子であったと思われる。
馬市場は馬を売り買いする所だから、様々な馬が出ては入る。その中にタッターソール家が直接扱う馬もあった。その馬にはタッターソール家の馬毛布が掛けられていた。タッターソール家扱いの馬であること、一目瞭然であった。ここからタッターソールが注目されるようになったのだろう。

やがて、馬が着て良いのなら人が着ても良いだろう、と考えたのかどうか、タッターソール柄をチョッキに仕立てる人物が出て来た。タッターソール馬市場に出入りする馬喰達である。1890年代のこと。つまり最初は馬関係者の着るチョッキの柄であったのだ。

そのタッターソール・ヴェストがロンドン紳士も間でも着られるようになるのが、1895年のことである。それは襟無しのシングル前六つボタン型、胸に二つ、両脇に二つのフラップ・ポケットが付いたデザインのものであった。
しかしタッターソール・ヴェスト以前にもこの乗馬柄はすでに使われていたかも知れない。

「これらの興味深い、また目を愉しませてくれる格子柄は、「タッターソール」の名前で呼ばれる。おそらくは馬毛布の柄に似ているからであろう。」

1891年『キャッセルズ・ファミリー・マガジン』誌十二月号の一節。タッターソールの文字を括弧でくくっているところから推して、かなり初期の用例と思われる。それがどんな服であったか、定かではないが、なんらかの服装に使われていた可能性はあるだろう。

ここからざっと六十年ほど飛躍することをお許し頂きたい。J・D・サリンジャーが1951年に発表した『ライ麦畑でつかまえて』の中に、タッターソール・ヴェストが登場するからである。

「彼はグレイのフランネル・スーツを着て、女々しいタッターソール・ヴェストを組み合わせていた。」

私はフランネル・スーツも、タッターソール・ヴェストも「女々しい」とは思わない。この部分について原文に当たってみると、「フリッティ・ルッキング」 flitty looking となっている。つまり作者から見たタッターソール・ヴェストは、気障に思えたのであろう。あまりに決まりすぎていて。
 少なくとも1940年代末の若い男の中に、タッターソール・ヴェストを愛用するものがいたことは、間違いない。アメリカにおいても、イギリスにおいても。

「今、シンプソンズでは、ウール地の、タッターソール・チェックのシャツが出ている。」

1963年『ガーディアン』紙の記事の一節。1950年代以前にはタッターソール・ヴェストがあり、1960年代以降にはタッターソール柄のシャツが流行った、ということなのか。「シンプソンズ」の開店は、1894年のこと。まさにタッターソール・ヴェスト登場期でもあって、まったくの無関係とも思われない。

シンプソンズ同様、英国の老舗「アクアスキュータム」が1977年にタッターソール・ヴェストを発表したことがある。それは襟付きのシングル五つボタン型のデザインで、胸に二個ウエルト・ポケット、脇に二個のフラップ・ポケットが付いていた。まさに温故知新というべきタッターソール・ヴェストであった。

アクアスキュータムに限ったことではないが、タッターソール・ヴェストは英国伝統のウエイストコートであり、パターンなのである。

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