ラ・ホヤとラコステ

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ラ・ホヤという地名があるんだそうですね。アメリカの、カリフォルニア州に。ラ・ホヤ。海沿いの、静かな、美しい町です。
ラ・ホヤ La Jolla は、スペイン語から来ているらしい。スペイン語で「宝石」を意味する、「ラ・ホヤ」 la joya から出た地名という説もあります。それはともかく「宝石」を想わせる町であるのは、間違いないでしょう。今は、高級住宅街のひとつとなっています。
ラ・ホヤは、ハードボイルド愛好家にとっての聖地でもあります。ラ・ホヤは、レイモンド・チャンドラーが長く住んだ場所なので。
1959年3月26日。チャンドラーはラ・ホヤの自宅で、永眠。ちょうど七十歳でありました。チャンドラーは、1888年7月23日の生まれなので。
そうすると、今年はチャンドラー生誕120年に当たるわけですね。そして来年は、チャンドラー没後60年という計算になります。
チャンドラーはラ・ホヤの、海を見下ろせる家で、愛妻、シシーと二人暮らしだったようです。シシーはチャンドラーより十八歳年上で、ふだんの雑用もレイモンドの担当だったらしい。
レイモンド・チャンドラーがラ・ホヤに家を買ったのは、1946年のこと。その頃は、ハードボイルド作家にも手の届く金額だったのでしょう。が、今現在は富豪にふさわしい土地柄となっています。
ラ・ホヤが出てくるミステリに、『真相』があります。ロバート・B・パーカーが、2003年に発表した物語。

「私の父と母はラ・ホヤに住んでいた。…………………」。

これは、シビルという人物の発言なのですが。ロバート・B・パーカーは、「チャンドラー研究家」から作家になった人物。この「ラ・ホヤ」は偶然ではないでしょう。ロバート・B・パーカーの頭のどこかに、チャンドラーへの想いがあったはずです。
『真相』には、こんな描写も出てきます。

「ブルー・ジーンズの上に緑色のラコステのポロ・シャツを垂らしていた。」

これはスペンサーの前を通りかかった、デロングという刑事の姿。「ラコステ」は、もともとフランスのテニス・プレイヤー。1933年に引退して、テニスに最適のシャツを考えたのが、今のポロ・シャツのはじまり。
1933年といえば。レイモンド・チャンドラーが、第一作目となった、『脅迫者は撃たない』を発表した年。それは『ブラック・マスク』誌12月号に掲載されたのです。
なにか好みのラコステを着て、チャンドラーの初版本を探しに行くとしましょうか。

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