アルニスとアーム・ホール

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アルニスはたぶん Arnys と書くんでしょうね。巴里の洋服店。1933年の開業だと聞いておりますが。もともと「アルニス」の経営者は、ロシア系で、「グランベエル」という姓だったという。
戦前までの「アルニス」は洋服店でありながら、一種の文化サロンのようでもあって。コルビジェだとかコクトオだとかが集まって、談論風発。そんな雰囲気だったそうです。今もある「フォレスティエ」という名の立襟式の上着は、ある文人の註文から誕生したんだそうですね。
当時の「アルニス」は一階がブティック。二階が、サロン。二階では註文服を作ることができた。さらにはサロンの奥に、小部屋があって、ここではちょっとした修理はすぐに無料でやってくれたんだそうです。
「アルニス」の先代はロシアの亡命貴族だった、とも。
ロシアの作家に、レールモントフがいます。ミハエル・レールモントフ。そのレールモントフが、1839年に発表した小説に、『現代の英雄』があります。この中に。

「 どうだね、この軍服はぼくにしっくり合っているかね?……… いやまったく(中略) この腋の下の裁ち方ったら、ありゃしない………きみは香水を持っておらんかね?」

これは登場人物のひとり、グルミニーツキー将校の科白。それで「おれ」が香水壜を差し出すと、「一瓶の半分」を、ふりかけてしまうのですが。
「この腋の下の裁ち方」は、たぶんアーム・ホールと関係しているんでしょうね。グルミニーツキー将校は、アーム・ホールのどこが気になったいるのでしょうか。さあ。
ごく一般的に申して、アーム・ホールは「前傾」で、狭いほどよろしいということになっています。ただし、狭いアーム・ホールは、手を通しにくい。ここが洋服屋としては実に悩ましいところなんですね。
手を上に上げた時、上着の裾が持ち上がるのは良くない仕立てということになっています。それを防ぐには、狭いアーム・ホールが有利なのです。が。お客としては、「手が通しにくい」、「窮屈な服」だと、こうなるわけです。お言葉ではありますが、佳い服とは窮屈なものなのであります。ほんとうのところを申しますと。
アーム・ホールはいかに仕立てるべきか。おそらくこれは永遠の問題なのでしょう。
ぴったりとフィットしたスーツを着て、ロシアに行くのは、夢でもありますが。

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