ピラミッドは、もう説明の必要がありませんよね。エジプトに聳える、古代遺跡に他なりません。
でも、もうひとつの「ピラミッド」がありまして。いや、「ありました」と言ったほうが正確ではありますが。
むかし、フランスのヴィエンヌにあったレストランの名前。フェルナン=ポアンが腕をふるって、世界中の美食家たちを唸らせた、名店中の名店でありました。
フェルナン・ポアンが世を去ってからは、マダム・ポアンが「ピラミッド」を仕切っておりましたが、そのマダム・ポアンもお亡くなりになって、今は…………………。
辻 静雄は著書『ヨーロッパ一等旅行』の中で。
「ヴィエンヌ町にある世界最高といわれる料亭ピラミッドを訪れた。」
と、書いています。これでも辻 静雄はたいへん控えめな形容だと思っていたでしょう。とにかく、現在、ヴィエンヌを訪れると、「ブールヴァール・フェルナン=ポアン」という通りがあります。言うまでもなく、亡きフェルナン・ポアンを偲ぶための命名なのです。
辻 静雄が「ピラミッド」に行くと、客室ではなく、私室に招かれ、とりあえずのシャンパンとフォアグラのパテが用意されていて。シャンパンは、1959年のドン・ペニリヨンだったという。
では、辻 静雄はどうしてあらためて「ピラミッド」に行ったのか。辻 静雄は、それまでに何度となくピラミッドの味を堪能しているのに。辻 静雄には、ある計画があったから。
それは日本最高の料理人に、世界最高の料理を味わってもらいたかったから。辻 静雄が考える「日本最高の料理人」とは、湯木貞一。湯木貞一に、なんとしても、「ピラミッド」の食事を食べてもらいたかった。
そのために辻 静雄は、「ヨーロッパ一等旅行」を考え、実行したのです。ただし「一等旅行」辻 静雄なりの謙遜で。少なくとも「特等旅行」だったのですが。いや、こと美食に関してなら、空前絶後の「理想旅行」でありました。その内容を収めたのが、『ヨーロッパ一等旅行』なのです。
話変わって、エジプトのピラミッドについて。短篇小説『ピラミッドに来た女』を書いたのが、英國の作家、アントニー・トロロープ。『ピラミッドに来た女』は。
「われわれがまだ幼くて幸せだった頃……………………。」
そんな風に、さりげなく、書きはじめられています。アントニー・トロロープは、もちろんピラミッドに行ったことがあって。その時の印象から生まれた創作なのです。『ピラミッドに来た女』は、1860年の発表。
1860年、同じ年に発表された短篇が、『メイヨー州コナー館のオコナー一族』があります。この中に。
「私は通ぶって狐狩り用の赤い上着を着ていたので………………。」
これは、ハンティングの場面。「赤い上着」は、おそらく「ピンク・コート」かと思われます。英國でのフォックス・ハンティングには、たいていピンク・コートを着ることになっていますから。
ほんとうは赤いフロック・コートなのですが、何度も狩りに出ているうちに色褪せてピンクになった、という見栄なのです。で、狩りにはレッド・コートとは申しません。必ず、ピンク・コート。
せめて赤いブレイザー で、美味しいレストランを探すといたしましょうか。