シャンパンは、喉の渇きを癒すのに、最高ですよね。美味しい食事のお供にも、最適です。
友だちと歓談するにも、ふさわしい。ひとつで読書するにも、シャンパン。なんにもすることがなくて退屈なときにも、シャンパン。
まあ、そういうわけでシャンパンは万能の飲物であります。シャンパンがお好きだったお方に、ロシアの作家、チェホフがいます。アントン・チェホフ。チェホフとシャンパンを酌み交わしたわけでもないのに、偉そうなことを言っておりますが。チェホフの小説に何度も何度もシャンパンが登場するからであります。
事実、『シャンパン』と題する短篇もいくつかあるほどに。チェホフはシャンパンを傾けながら名作を紡ぎ出したのではないかと思えてくるくらいです。
1885年頃に発表した物語にも、『シャンパン』があります。
「………それはダイヤモンドのごとく輝き、森の小川のごとく澄み、蜜のごとく甘い。それは働く人の労働よりも、詩人の歌よりも、婦人の愛撫よりも値打ちがある。」
ここでの「それ」がシャンパンを指しているのは、いうまでもないでしょう。
チェホフはこの『シャンパン』を書いた五年後、サハリンに旅をしています。
1890年、チェホフ、三十歳の時のこと。当時のサハリンには収容所があって、その収容所の取材が主な目的だったようですが。
1890年頃のサハリンはほとんど「地の果て」という感じであったでしょうね。
チェホフはモスクワを発って、汽車でヤロスラーヴリに。ヤロスラーヴリからは船でヴォルガ河を下って、ペルミに。ペルミからは鉄道で、チュメーニへ。ここ先は鉄道もなくて、主に馬車の旅。
「………車輪や車軸をこわして、魂を放り出されるような目に会うこともまれではなかった。」
チェホフは手紙の中に、そのように書いています。
そのようなサハリンへの旅の途中、その時代の少数民族の人びとにも出会い、観察しています。たとえば、「ギリヤーク人」。
ギリヤークは、古語。今は「ニヴフ」と呼ばれるらしい。しかし、チェホフ自身は、「ギリヤーク人」と書いているのですが。
ギリヤーク人はアザラシの生肉を食べるが、太った男はひとりもいない、などとも書いてあります。
「クルゼンシュテルンは、八五年前に、≪ たくさんの花模様を刺繍した≫ 豪華な絹の服を着たギリヤーク人に会った。」
「クルゼンシュテルン」は、ロシアの探検家の名前。
それはともかく。刺繍をあしらった絹の服には憧れます。
どなたか絹に刺繍のあるウエストコートを仕立てて頂けませんでしょうか。