國太郎と黒羅紗

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國太郎は、男の子の名前ですよね。ひと口に國太郎とは言いましても、いろんな國太郎がいるんでしょうが。
ここでの國太郎は、河原崎國太郎。五代目 河原崎國太郎。名優。女形。歌舞伎役者であります。本名、松山太郎。明治四十二年十月十四日に生まれています。
河原崎國太郎は、俳優の松山英太郎、、松山政路の、お父さんであります。
そして河原崎國太郎のお父さんが、松山省三なのです。松山省三の本業は、画家。画家の一方で、日本初のカフェエの経営者でもあった人物。
カフェエの名前は、「プランタン」。「プランタン」の名付け親は、小山内薫。
どうして画家である松山省三が、カフェエをはじめることになったのか。黒田清輝の話を聞いてから。フランス帰りの黒田清輝は、松山省三に会うたびに、巴里のカフェの話を。で、松山省三は、カフェエを開くことに。
明治四十四年、九月のこと。京橋日吉町に、「カフェエ・プランタン」を。今の銀座八丁目に。
最初、プランタンの会員になったのが、森 鷗外、永井荷風、谷崎潤一郎…………………。錚々たる顔触れで、大成功となったという。
プランタンはあくまでもカフェエであって、今のカフェとは違って。着物に白いエプロン姿の女給がついてくれて。ただし、同席はしない決まり。今日のカフェとバアとを足して二で割ったような店だったのですね。
谷崎潤一郎が、大正五年に発表した短篇に、『美男』があります。

「Kは天性の麗質の上に、話術が巧みで文才が豐かで、新派の和歌を上手に作る。」

谷崎潤一郎は『美男』をこんなふうに書きはじめています。「K」が、美男の名前であること、言うまでもないでしょう。本名は、國太郎。ただし、姓は出ていません。もちろん、河原崎國太郎でもありませんから、間違えで下さい。『美男』はあくまでも、小説。
また、『美男』には、こんな描写も出てきます。

「新しい、すつきりとした黑羅紗のマントを纏つて全く新派の園遊會の舞臺に出て來さうな恰好であつた。」

むろん、國太郎の着こなし。羅紗は今の紡毛地のことですね。また、広くウール地を指すことも。
「黑羅紗」には憧れます。が、美男には遥か遠い存在ではあるのですがねえ

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