ホフマンとボタンド・ブーツ

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ホフマンは、ドイツの作家ですよね。E・T・A・ホフマン。
ホフマンは、1776年1月24日に、当時のプロイセンに生まれています。
ホフマンは少年の頃、音楽家になることを夢見、やがて青年になって画家になろうとして、結局は作家になった人物であります。
ホフマンの代表作のひとつに、『黄金の壺』があるのは、ご存じでしょう。1814年、
ホフマン三十八歳の時の創作です。この中に。

「青みをおびたグレーの燕尾服などは、それをつくった洋服屋が流行のスタイルのことはうわさでしか知らないのではないかと思われるような仕立てかたであったし……………………。」

これは大学生の「アンゼルムス」の装いについて。やんわりと「流行遅れ」と言っているのでしょう。ついでながらシャツは、「黒のサテン」と書いています。1910年代のプロイセンには、「黒のサテン」のシャツを着る習慣があったのでしょうか。ただしホフマンは、
黒サテンのシャツは「若者らしくない」とも書いているのですが。それはともかく、1822年に四十六歳で世を去ったホフマンは、かなり服装に興味があったものと思われます。
ホフマンが、1816年に書いた童話が、『くるみ割り人形とねずみの王様』なのです。
今もチャイコフスキーの『くるみ割り人形』は有名ですが。もともとの原作は、ホフマンなのですね。
このホフマンの原作を読んだのが、フランスのアレクサンドル・デュマで。デュマは早速、フランス語訳を試みています。それが、『ハシバミ割り物語』なのですね。
さらにチャイコフスキーが実際に台本にしたのは、デュマの『ハシバミ割り物語』を元に、プティパが脚色したものであったのです。
ホフマンの原作と、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』とが、若干異なっているのはそのためなのでしょう。
それはともかく、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』は、1892年12月6日に、
「マリンスキー劇場」で幕を開けています。

ホフマンはそれほど特別な姓名ではないらしく、多くの「ホフマン」がいるようですね、たとえば、ニーナ・キリキ・ホフマン。
ニーナ・キリキ・ホフマンは、1955年の生まれ。今は、オレゴン州ユージンに住んでいるとのことです。
ニーナ・キリキ・ホフマンが、1999年に発表したミステリが、『マットの魔法の腕輪』。
マットは女の子の名前で、魔法が使えるという設定になっています。この中に。

「………膝下に留め金のついた半ズボン、黒っぽい長靴下、足首の上までボタンのかかった黒い靴……………………。」

マットが小径で出会った少年の着こなしについて。
「足首までボタンのかかった」とは、ボタンド・ブーツのことでしょうか。
十九世紀末から二十世紀はじめにかけては、男女の別なく、ボタンド・ブーツが少なくありませんでした。
このボタンを留めるための専用の「手鉤」に似た道具もありました。たしかに履く時は面倒ですが、一度履いたら、そのフィット感は満足のゆくものだったです。
どなたか二十世紀はじめのボタンド・ブーツを再現して頂けませんでしょうか。

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